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夢舟亭
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エッセイ    2002/12/21,2008/11/25


     雪景色



 窓を開けはなして夕涼みをしていたのがつい昨日のことと思っていたら。
 季節は九、十月を通過して、十一月さえあっという間に終えようとしている。

 そう感じるほどに今という瞬間が猛烈な勢いで突っ走っている。

 窓から見仰げば向こうの山脈は冬の白帽子をかぶっている。
 平均より気温が低いとか寒波襲来なども例のごとく報じられ。

 新幹線や旅客機、船舶や高速道路の運行の遅れや運休。
 そうした不安が現代ビジネスには困った妨げの害。
 まして都心の雪となれば、怪我人もでて救急車が忙しくなる。

 そういう心配言葉が、ニュースの開口一番に発されると。
 南北に長いこの島国の津々浦々に、即伝えられ共有されてしまう。
 と自分の生活に影響がない地域までが、大変だ困った、の気持ちに付き合うことになってしまう。

 一極集中の中央から全国一括で扱う放送の電波。
 それは効率的な情報発信の仕組みなのだろうけれど。
 まとめて束ねて扱われるこちらにしてみれば、全国一律でみーんな一緒。
 マスとして扱われると、隅々にあるものの存在は軽くなる。
 地方住まいのひとりとしては、あまり快い感じは受けない。

 南の天候を、北で見てどうするのというだけではなく。
 地方の時代とか活性化とかしたり顔でとなえるメディア自身が。
 じつは都会からの視点と価値観を正として、「いなかの割には」的でしかないなら。
 過疎化の片棒を担ぐ結果になるのではないだろうか、などと思うわけです。

 世界的に見たときに後進国に対する先進国の都合と基準論を、「グローバル化」というとか。


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 わたしの住むこの辺りも初雪の朝などは幹線道路が渋滞するけれど。
 日本海側の一部の豪雪地域や北海道ほどの降雪ではない。
 だから混乱して困ることは滅多にない。

 そういえば四十年ほど前のあのころなら。
 今のこの老体よりも目線はずっと低かったわけですが。
 三十センチくらいはちょくちょく積もったような気がします。

 時間に追われながら勤めに出る現代クルマ社会の初期の昭和三十年代。

 行き交うクルマの数は今から比べればずっと少なかった。
 スノータイヤが無かったから皆タイヤにチェーンを巻き。
 除雪などしないいなかのデコボコ雪道を、ガチャンガチャンと車体を擦り鳴かせたバスやトラックが、白く深く埋まって動いていました。

 学校には生徒皆がゴム長靴で雪道を歩いた。
 雪があまり降り続くと、早めの下校になる。
 皆が、やったぁ! の思い。

  ふわふわ。

  しんしん。

  ぼさぼさ。

 白くひんやりとして、舞うように絶えまなく。
 頭に肩に降り積もるその柔らかさはやさしくて。
 どこもかくもを、一面まっ白にして、ぶ厚く覆ってしまう。

 道か堀か畑かも分からなくなり。
 歩く足が靴がすっぽりもぐってしまう。

 と、顔に降りかかる雪の粉吹雪のなかに仲間の奇声があがる。
 握りかためた雪玉がそちこちから飛んでくる。
 わたしも負けずに握っては、雪すだれの向こうで動く赤や黒い冬服めがけて投げかえす。
 黄色い奇声も楽しい下校道を、いつもより数倍遅れて帰宅したのでした。


 降り止んでの翌朝。
 明けはじめると周囲の風景は白一色。
 一晩降りつづいた新雪にうずまったすべては、ほんわかな白い綿帽子をかぶっていて。
 家々がまろやかに浮かびあがってくる。

 やがて山から太陽が顔をだす。
 立木の枝にふっくらこんもり載った雪の結晶が、射す光をチカッキラッと跳ね返えす。
 白い情景に七色の光が飛び交う。

 今どきの町の夕木だちに、豆球が連なるチカチカがからめ飾ってあったりするけれど。
 自然が織りなすあの七色の反射光はダイヤの小粒のように明るく鋭いきらめきでした。

 そうした幻想を醸し出す雪の印象も、今では煩わしさだけに変わってしまった気がする。
 変わったというのは、自然の摂理と人間生活の間が離反したということかな。


 そんなわけで、雪景色という言葉がイメージさせる情景は、ひとそれぞれあろうけれど。
 わたしのものはといえば、白く深く静むいなか風景です。

 ふんわり、冷気、銀世界の清潔感。

 そうした風景を今眺めるとき。
 もしもこうしたため息が出そうな白い景観を、人工的に仕立てるとしたなら。
 町ひとつをまるまる冬景色にセットアップするとすれば、ということだが。
 それにはいかほど経費を要するものかなと思ってみたりする。
 おそらく膨大なものになろう。いや不可能だろうなぁ。

 そんな不経済なことは誰も企てはしないだろうけれど。
 それほど広大に見える大自然の成せる一面雪景色の、そのなかを歩くのは心はずむ。
 靴が鳴る、の歌のような楽しさが湧いてくる。
 ディズニー映画に白雪姫があった。あのなかで小人たちがハイホーと歌う。
 まさにあの気分です。

 靴といえば買って貰ったばかりの黒い光沢のゴム長靴。
 あれで雪を踏みつけると。
 足もとで雪が押しつぶされキッキッと鳴る。

 踏んだ跡を、ふり返えって見る。と、そこにしっかり彫り深く新靴の跡がある。
 新雪を鋳型で固めたように白く刻まれていた。
 そのギザギザ跡は自分の名前の刻印でも押したようで、なんとも嬉しかった。
 今大人の側で思えば何と安価な喜びか。

 新雪の山野は雄大なふんわりメルヘンチックな遊び場。
 だからいつもは歩いたりしない田んぼのなかへも畑のなかへも。
 白無垢の雪原にどんどん踏みこんで行った。

 積雪に初めて踏み込む自分の足跡がそこにつく。
 前人未踏の心境だろうか。
 そのことがあれほど心ときめくものだったとは。
 今思い出してみてもやはり楽しい。

 さくっ、さくっ。

 左右互い違いに足跡をつけて進む。

 振り返って見る。
 と、自分が歩いてきた跡がずーっと二本線で付いている。

 前方を見ればまだ誰も歩いた跡がない。
 この先へ進めば次つぎに自分の足跡だけが印される。そのことがたまらない。
 だから先へさきへと進む。

 丘の畑から、土手をおりて。
 広い田んぼの縁から真ん中まで前進して。

 あるところで、足を停める。
 踏み出したその足を、後ろに踏みもどす。
 次の足ももどしては、退がる。
 前を向いたまま退いてゆく。

 今し方踏んで進んだ自分のゴム長の跡を踏みながら数歩後ずさる。と……。
 前方に続いてゆくはずの足跡が目の前で突然消えてしまっているように見える。

  そうだ。ぼくはここから足を浮かせて飛び立ったんだ。
  だから足跡がそこまでしかないんだ。
  鳥人間のぼくが、ここから飛び上がったんだ。

 独りで、不思議なストーリーを夢想する。
 そのまま後退を続ける。

 前方の、自分が飛び立った、ことになる地点から晴れた空に視線を上げてゆく。
 飛んでいるはずの自分の姿が思い浮かぶ。

 しばらく青い空をながめてから、この夢想ストーリーをさらに続けることを思いつく。
 まだ誰の踏み跡もない雪深い田んぼ面に、今度は後ろ向きに踏み出してゆく。

 後ろ向きになってしばらく進んで逆向きの足跡を付けてゆく。
 雪原の真ん中まで行って、停まる。
 今出来たばかりの足跡を踏み重ねながら前向きでもどってゆく。

 すると後ろ向きで踏み込んだ先は、そこから足跡が始まるようで。
 鳥人間が着地した地点に見えるのです。

 先ほど付けた足跡が消えるところから飛び立った鳥人間の自分は、ぐるりと空を飛遊してここに舞い降りた、というストーリー。
 それをこの雪のうえの足跡で表現出来たと、そういうつもり。

  うまくいったぞ。
  誰か不思議に思ったりしないだろうか。
 などと独り悦に入る。

 なに深い雪の底に着いた足跡の向きなどは、遠くから見えるはずもない。
 実に幼い発想ではある。
 だがあのころは、そういうことを広大な真っ白キャンバスに描いて楽しんだのでした。

 飽きて帰る時刻にはまだ早いなら。
 帰り道になる雪原のある所まで踏み込んでゆくと停まり。
 90度向きを変えて、両手両足を大の字に開く。
 そのまま新雪に、後ろ向きに倒れ込む。

 すると、全身で雪の原に埋まる。
 深いときは顔も埋まって、粉雪が覆いかぶさる。
 積雪に落ち込んだ自分の身体の跡を残して、そっと立ちあがる。
 壊さないように向きを替えて離れて見る。

 と、たしかに手足がひろがった自分サイズの「大の字」が掘られている。

 隣りにもおなじ大の文字をばっさりと掘る。
 そのまた隣りにもまた次ぎにも。

 やがて倒れ込むたびに着いた雪の粉で全身真っ白け。
 それでも夢中で続ける。
 身体で彫り込んだ大の字が十数個も並んだろうか。

 雪のなかを踏み足で動くのはかなりの運動量。
 はあはあと吐く息が白い。
 けれど身体は温まってくる。


 それにも飽きて。
 また別なところでは。
 身をかがめて土手の雪に顔を押しつける。

 ふんわり粉雪に自分の顔の形にへこんで固まる。
 マスク(お面)がへこみ跡となってできる。

 口を開けて押すと、アーと叫んでいる自分がいるではないか。
 隣りに“イ”。また隣りへ“ウ”。エ、オ・・と。
 いろいろな声を発する口の自分の顔が、雪のなかにならぶ。

 頬が、触れた雪で冷やされて火照りだす。
 それに気付くあたりで空腹を感じる。

 気付いてみれば、おろしたてのゴム長靴のなかも衣類も雪で冷たい。
 毛糸の手袋も、スキー帽も、お手製の綿入れの半纏(はんてん)も。
 雪ですっかり濡れてしまっていた。

  おお冷て〜。お母ちゃんに怒られるなぁ。


 そうした雪の田んぼのまん中に残した自分形の跡は。
 後日、陽に融けて消えてゆくのを、ちょっと悔しい思いで見た幼いあのころ。

 この歳のせいだろうか。
 季節の雪に幼い自分が遊ぶ風景がよみがえるのです。







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