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夢舟亭
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夢舟亭 浮想記 −随想−


    映画「アフガン・レポート」 
                  2016年 09月30日

 アフガン、アフガニスタンとくれば当然の今どきの戦争の話。

 何でもかんでも映画にしてしまえるアメリカは、ハリウッド、と思ったがイギリス兵の実話の映画化。

 とはいえいうまでもないが911以後の欧米連合国兵の現状、その一場面。
 こうした砂漠や岩山での戦線の作品はアレ以後多い。PKO以後のニッポン自衛隊の現状レポート皆無とはエライ違いか。

 さて昨今の戦いは一見、ハイテク無人化されているように思っている向きは多い。
 何といってもドローンはじめ、無人偵察機、そしてロボット兵器まで活躍中。

 地球の裏側本国の基地にいて操作できるテレビゲーム感覚で、イスラム地域を撃破する報道を目にするあれが常態なのかと思っていたが。

 21世紀の今戦争もまた、最前線においての人対人、銃の撃ち合いの場が主流のようだ。

 そしてこの映画では、地雷というきわめて見えにくくやっかいな、でも兵器としては新しさのないアレの恐怖なのだ。

 アフガニスタンへ来ている欧米の一隊が、地に埋め敷いた地雷原に苦しめられれ散々な目に遭う話だ。

 けれどこの場合の敵、映画ではタリバンとなっている者たちの姿はほとんど見えない。

 直接に銃撃戦など無し。
 巡回監視に出歩いた一隊が地雷原にはまりこんでしまった。

 そのことで凄まじいまでの苦しを味わう結果になる。

 一人、また一人と、歩を踏みだすたびに地雷を踏む。
 その爆発で人体が吹き飛ぶ。
 足が、手が、胴体が・・・。

 負傷兵を介抱しようと動けば、また・・・どがーん。

 持ち合わせの医療備品は即底を尽く。

 無線で基地と連絡を取ろうにも、急々の対応などできないのが戦地の常。

 ぶち切れた身体からの出血の多さにで、日照り砂の地帯であってみれば見る間に衰えてゆく負傷兵ら。

 なんとか駆けつけた軍のヘリも、地雷原とあっては着陸などかなわず。
 砂塵に巻かれ、かえってその場に混乱をもたらすありさま。

 そうした間の負傷兵らの苦痛が、見ているこちらがわに伝わって、痛い。

 まるで自分の身体の手足がスクリーンから感染するように、ぶち切れて肉片がぼろぼろ骨丸出しのヒリヒリ感を共有するので、辛い。

 だめだぁ。た、頼むから傷口に触らないでくれぇ〜!

 と、正視できないぼろぼろ太もも。それは肉屋に下がる血もしたたる赤身か。
 つい顔を歪めそむけると、こちらの体のそれらの部位までがしびれる。


 銃撃バンバンというイラン物アクションのそうした映画は昨今多い。
 だがこの作品はほとんど銃撃シーンが無い。

 だのに、戦場の恐怖を、苦しみを、痛みまでを、しっかり味わうはめになる。いうまでもなく、考える間も与えず感じさせる。

 そのことが制作意図なのだろう。

  ククー、は、早くモルヒネを。痛みをとめてくれ。無いのかぁ・・・。

  あぁ、早くなんとかしてくれ〜。


 これらは実際にあった話だというから参る。


 この映画を終えて思い出すのだが、「たんに戦争に行きたくないだけじゃん」という程度の若者議員。だが公の立場を利用してしっかり私服を肥してたとか。

 そんな程度の戦争のセの字も知らない小僧を、国会議員として国の最高機関の、議の場に送り込んでしまった。

 政治に無関心過ぎであまりに軽薄なのこそ、自分たち市民だ。つまりは、彼だけがアホなお子様ではない。あなたもわたしも・・・。

 戦争、戦場で起きる、受ける、陥る、身にふりかかるその苦しみ痛みの現実など、知る由もないのが戦後ニッポンに暮らしてきたわたしたちだ。

 その「分かっていない」「分からないでもよかった」ことこそがいかに貴重で価値あることか。

 それを掲げ守り、維持してきたことの裏にある先人の反省と思いが先にあったのだ。

 それはこういう現実を自身の経験として、家族の悲しみからも、平和への固い誓いを建てたのだと、気づく。映画とてナメて観たらいかんですね。


 とにかくあまりに痛すぎる映画でした。


             <了>



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