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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)
 





   厳父慈母
           2007年11月23日


 この漢字四字を今どきその辺で口にしたら、どうだろう。
 どうだろうという意味は、どんな反応が返ってくるだろうということ。
 厳しい父という二文字ですでにアラームやブザーが鳴りそうではないか。
 今、父は子どもの踏み台にだってなりそうだし、母は独身のモデルの様相さえ見せる。
 ともにわが子溺愛の限りを他人への非難言葉として現すことも少なくないという。

 厳しいという家庭はむかしスパルタ教育の家などと言われた。
 なりふり身振りに言葉使い生活行動の多くにくまなく、厳しい父の目が注がれて。へたすればげんこつや鞭が飛んでくる。うっかり泣き言などぐちりようものなら、馬鹿者ッ!
 口答えなどまず論外。はい、にもの要らず。ちゃぶ台に向かって正座。いただきます、ごちそうさま。
 ありがとう、おはよう、は、御座います、付き。
 ただいま、おやすみ、は、ました、や、なさい、を欠かせず。
 それへ父は、うむ、の一言。仁王様のようだ。
 祖父はただうなずき。祖母は、微笑む。母だけがどこか心配そうな様子。

 それをフォローしたのが母。そこで慈母。
 慈愛に満ちて穏やかでいつも物静かで、心優しい。まるで観音様。自分のことなどいつ考えるのかと思った。
 慈母観音そのままに、どこに居ようと何があろうと母を思うだけで心安らぐ。
 嬉しいことは本人よりも喜び。悲しいことは誰よりも悲しんでくれた。兄弟の争いもめごとに何よりも困っていた。
 母親はもったいないがだましよい、というのを落語のまくらで聞いたことがある。
 たいがいの悪さを大目にみてくれる。嘘も分かっていてだまされていた。
 でもそのときの顔は寂しそう。それが分かるようになったのはだいぶあとのことだけど。

 やがて自分が大人になってみれば。
 仁王のような父も、観音のような母も、老いて。見上げるような尊顔も、ふくよかに匂う胸も腕もしょぼくれて。人前で恥かき笑われる様も見聞きすること何度か。
 親の姿勢は地に墜ちるごとく、辛さも切なさも隠すことなくただ普通の老人になって、逝った。
 そういうことを思い出として、自分もまた子どもにとってどの辺りかを歩いている。


 
                <了>

   

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