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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)

    邦画「蜩の記」(ひぐらしのき)を観る
                      
2015年 05月16日

 
 日本映画、「蜩(ひぐらし)の記」を観た。
 
 この作品は原作があの同名小説「蜩の記」(葉室麟)の映画化だ。
 
 読んだ方も多いと思われるのは、直木賞作家のものということもある。
 テレビでもドラマ化放映があったとか。
 
 江戸の時代のある地方の大名のお家のいざこざに巻き込まれ、奉行役を取り上げられ切腹の罪状を浴びた男の話だ。
 
 藤沢文学にこうしたあの時代の地方武士の生き様を描く作品が多いけれど、この作品もまたそれら清廉潔白というべき有能な武士魂を描いている。
 
 時代物の武士魂となれば究極にある潔い切腹がどうしても出てくるのが、今どきのわたしなどには苦笑のタネとなるのだが……。
 
 問題や疑問があればその筋その役部署にしっかり明確に説明報告し訴えてしかるべきコト、と思うのだ。
 
 けれど、しかし。当時のヒエラルキーというか武家社会の階層組織の構造は、何段にも積み重なっていようなのだ。
 
 最上階は雲の上の世界のごとくそびえ立っていておなじ人間に生まれていても、まったく口も聞けず、だいいち近づけやしない。
 民などは姿さえ見たことがない、まったくの特別な人たちなのだ。
 
 となれば、とうに分かりきった間違った事もすでに結論が出てしまっては、はるか上位にある役職へ真実を訴えて変更するなどということは、もっての外。
 
 進むことへの精力や知恵、そしてお金は惜しまない仕組みだが、反省や後戻りや修正の出来ない仕組みが、徹底した上意下達の構造により成り立っている。
 小市民ごときが何を言うか。頭が高い!
 
 しかしそれは現代の民が主であるはずのニッポンにもいまだ残っているようにも思うことが少なくないのだが、どうだろう。
 
 いずれにせよ、武家社会のそうした決定事項、この場合の「切腹」を仰せつかった現実を真摯に受け止めて10年間、おのれに課された御役目仕事を終えようと残る日々を生きる、男。
 
 それは理不尽な裁きであったにもかかわらず、けして坑がうことなく、あくまでも藩お家と民の平穏無事な未来を信じて、無実の罪を受け入れる男。
 
 その点がこの作品の眼目であろう。
 
 けれどそこが原作を読みそして2時間の映画化作品を観るわたしなどは、困ってしまうのだ。
 
 この男の清い生き方に影響される?が増えてくるなかで、真実を訴え出てまで罪状を免れる策を講じる?はいないのだ。
 いや、それを知りつつ、それを変える立場にある?こそがそう仕向けていては、その現実は変わりようがないのだ。
 
 なんと家族までもが、そういう潔い武士魂こそ夫であり父なのだと、誇る。
 
 そういう時代であり、かような社会だったのか日本武家社会。
 
 
 さて話の結末はいかに…………

               <了>


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