・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭/浮想記(随想) 上映開始 2009年01月31日 映画、を喩えて、銀幕、などと言いました、むかしは。 銀幕の花、銀幕の美女、銀幕の麗人、銀幕の女王といえば、イングリット・バーグマン、エリザベス・テイラー、カトリーヌ・ドヌーヴ、オードリ・ヘップバーン・・などを私はイメージします。 銀幕とはいうまでもなくこうしたスターが演ずる姿を映しだす白く大きなスクリーンのことでしょう。 出向いてチケットを買って映画館の椅子にすわって。観客となった皆が同じく見つめる前面に垂れた大きなスクリーン。 金ではなく銀の幕、白いスクリーンで演じられる。 お芝居と知っていても大スクリーンに動く光と影に感激して笑った、怒った、涙した。 銀の垂れ幕に夢やあこがれをどれほど抱いたか。 それは希望になって生きる力にもなって。 数十年後の今もあのシーンが脳裏にあってよみがえる。 映画の最盛期というと昭和の中ごろか。 テレビ放送までの時期か。 そのころテレビごときおもちゃに映ってたまるかとタンカをきって拒否した映画の名優が居たとか。 それほどに銀幕映画界は、国民白痴化の新参の箱テレビをまともに扱うことはなく、誇り高かった。 しかし世界中で映画とテレビの立場は逆転していった。 テレビが映像を楽しむ主役として向こうから出向いてきては、茶の間に入りこみ、居座り。現在では家庭の部屋のほぼすべてを占拠してしまった。 テレビは世界に通じるとっても小さな窓。 小窓に送り届けられる映像は世界のありのままの「今」の姿。 テレビは即日の出来事を知る道具。 映画とは見せてくれるものが違う。 テレビと映画は役割が別なのだ。 本当は映画作品のほうがずっと手間が掛かり良質だ。 そう思いながらも縁遠くなっていつつあった映画。 この数十年間そうしてきたのでした。 映画制作業界もテレビ放送がお得意様としてテレビ番組へ協力提供していった。 ところがこのところ高品位テレビ放送時代(衛星デジタルハイヴィジョン放送、地上デジタルハイヴィジョン放送)となって。 いささかテレビの役割その状況が変化したように思えます。 テレビ放送は高精細な映像伝達が可能なデジタル時代に突入したからです。 高精細な映像が可能となったテレビ放送業は、高質な映像を嫌でも送り出さなければなくなった。 従来のアナログ時代より数段上質にしなければ、自ら招いた映像新時代の要求に応えられない。 入れ替えた新進映像機器設備に、どうした使いこなせていないぞと笑われてしまう。 視聴者にだって、目の醒めるような映像を見せてもらえないなら何のためのデジタル投資だか判らないと突きあげられる。 思えば白黒放送からこれまでのアナログ放送の歴史はテレビ創世期だろう。 テレビはタイムリーな情報を伝える役割として重要視された。 だから映ればよい判ればよかった。とにかくどこからでも少しでも早く、が優先だった。 しかし今それだけでは不十分だ。なにせハイヴィジョン時代なのだ。 鑑賞に値する高質なテレビ映像のためのデジタル化であろう。 従来のとりあえずの安手なものでも埋める番組表ではなく。今までの放送にはないデジタルでなければハイヴィジョンだからこその、新たな映像領域が期待される。 たとえばそのひとつの厳しい目として・・「わが家に映画館がやってきた」と唱える趣味人たちだ。 家庭で映画鑑賞のファンたちには今、「夢叶った」「待ちに待った」と驚喜する笑顔がある。 アナログで我慢していたんだ、映画館で観たかったんだ、とつぶやく人たちだ。 家庭の銀幕スクリーンに映しだされる彼らが鑑賞する映像の質が上がったわけだ。 思い返せばかなり以前から小窓のテレビ放送で映画の放映はあった。 映画の放映を喜ぶ人々が居たのだ。 映画を見たい人は常に居たのだ。 映画館に出向くひまがないというファンも完成度の高い映像作品は映画だと知っていた。 放送局制作のものよりは手間も時間も費やした数段高質なことを認識していた。 仕方なくテレビ小画面で間に合わせていたのだ。 映画館に出向かずに自由に家庭で見たい。 そうした思に応えたのが今繁盛しているレンタル業だろう。 観たい味わいたい楽しみたい向きには映画作品に軍配があがる。 テレビ放送にはわるいけどニュースのほかに真に観るべきものはないと言ってはばからない人も居る。 今、そういう人に朗報だ。 テレビ映像機器が格段に改善され高精細になり、映画鑑賞に充分堪える機器が世界標準となってフラット大型画面ハイヴィジョンテレビなどが出現した。 さらには映画のように大きなスクリーンにも映せるようになった。 画質は鑑賞に充分堪えうるようになった。それもCDを超えたサウンドを引き連れて。 放送映像も地上デジタル放送網が配備されていっそう高質になった。 あわせて映画会社もハイヴィジョン映像でディスク版映画を増やしている。 さすがに映画は制作の気合いがちがう。制作スタッフの陣容や費用、期間が桁外れだと確認できるほどの見応え充分な映画を今も約束してくれている。 心おきなく、心ゆくまで存分に。 家庭でも大きな銀幕に感動の光と影が踊るようになったのです。 ビー・・・。 さぁ開演だ。 <了> |
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