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夢舟亭/浮想記(随想) 純文学!? 2011年 01月10日 新年まだ一桁のある日。純文学ってなんでしょね、というあるSNSで「純文学を考える会」のトピックが目に付いたのでした。 そこで私はかようなことを書いたのでした−− <2011年01月10日 13:15> 私小説などが多いことを思えば、人の心の変化とその元になっている要因との関係などの克明な描写。その深さや複雑さをいかに表現しているかどうか。 そういう観点からの作意をしっかりもてないままいくら書いても・・・というかそういう能力というか感性は、幼いうちからの生活上の精神的経験から、意識せずに育ち身に付いてしまうものなのではないかなぁ。 自分が納得できるものを書くならば、書く以前に自分はどんなものを読み好み良しとしているか。人間観などを分析してみるのも一考かも・・ 読み手と登場人物の心の距離が大きいとか、事象表現で終始するようなものは、いかに面白くとも純粋な文学ではないと思うけれど。 それは文章以前に自分が有するもの(現在備わっているもの)の結果として表現されてしまうものなのではないか。だから可能かどうかは分からないが・・自分の価値観の核になっている感性を増やし鍛え磨くことが大切なのではないかなぁ、と。 いかにきれい事を述べることができても知識があっても人が見ているところで善人ぶれても、自身の心底本音として薄汚い人間ならば、生涯全体を通してみればきれいな生きる方にはなっていない、というようなものではないのかなぁ。 小賢しく小手先で器用に創りあげられるようなものだとなどは思わないほうが良いのではないかと。 作品は作者の人間性そのものだろうから賢さで罪を逃れるように下心が見えてしまうもんなぁ。 作者の根源という意味では賛成だけれど、思想や哲学などよりも生き様そのもの。つまりはその人の真実、真心を文に喩えて現したもの、かも。 なぜあの作家が純文学のあの賞を与えられていないのかとの声もあれば、当然ですよねぇという声もある中。 文学とは純文学のことです、と断言する著名作家がいるが、純文学というものをつかみきれていない人、認めたがらない人は、まだまだ多いとか。 などなど・・新年に自分なりに考えてみました。 <了> |
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