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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)
 




 「苦海浄土三部作」読後記
                2018年 05月02日



 いやぁ何ともかんとも・・・痛ましい。

 まずそういう思いで読み終えたこの本。

 水俣病、という、旧日本窒素肥料株式会社、チッソ水俣工場の、有機水銀排水汚染公害。その発病者たちを追うドキュメンタリー”小説”。

 作者は、長崎の石牟礼道子さん。代用教員から作家への現在90歳代。

 水俣病患者被害者の代弁者として県や国の補償会議や、デモさらに座り込みも共に闘った半生というから、恐れいいる。

 そうした経緯を単にデータや記録というだけでなく、被害中毒患者ら個々の家庭史から家族の身体障害発病の前から発症経緯、それら人々の心情までを詳細に綴る。

 それだけに、当冊子のボリュームは、「苦海浄土」「神々の村」「天の魚」の各大作を統合し二段重ね総ページ700余。昭和初期からの水俣訴訟の裏の裏まで・・・。

 となれば、現代ニッポンの、否、世界史に刻まれてしまった東京電力株式会社の、原子力発電所連続爆発放射能汚染拡散”フクシマ”、の経験当事者の一人として気になっていた一冊だ。

 国家、政治主導の産業推進の失策は、常に責任逃れがあるようだ。
 その犠牲者個々人が追い込まれた苦境は、生活貧苦に陥り、身体障碍家族あまたの発症を、患者自身が背負い看ることではいっそう悲惨となる。
 それが貧相と見えれば社会的疎外迫害をあびることになる。

 この冊子をここ数十行ほどに説ける能など持たないが、知らず知りようの無かったゆえの感慨を読中読後、深めずにはいられないのでした。

 わたしはけっこう内容の重い作品を手にしたりするけれど、この本を読んで後、どんな本もが軽話に感じるほどだ。これに比すなら、イクサ(戦争)の残酷さしか思い浮かばない。

 とはいえそれだけにまた、この本のあまりに重く深い真意を、こうしたSNSなどで真顔で語るべきか、という場違いな思いもまた湧く。

 であるから、あくまでも読み終えた瞬間感じた”思い”のみに止める。

 それにしても、である。
 今どきのニッポン政治(家)の体たらくデタラメさ、総崩れへの責任の無さは、なんだろう。どこまで行たら正常になるのか。
 小学学級崩壊でも、ここまでの恥の上塗りと図々しさ劇は観られないと思うが。

 一億数千有余の日本国民のここまで得た生活。その全てを背負っての重責を深く感じて。一次二次三次全産業に対して、過去のにがく苦しい経験から学んだ国民目線を、怠りなく配っていける政治能力などあるだろうか。

 そういう政治への不信が募る一方なのはわたしだけか。

 よもや、産業政策の失敗その繰り返しのツケを、犠牲者本人たちの言いがかりなどと無視拒否をし、苦悩苦海に溺れさせドブ付けにしたまま、もがき死にゆくも素知らぬ顔で、社会の邪魔者扱いしたりしないだろうか。

 そうした犠牲当事者に、わたしが、あなたが、未来の子や孫たちがならないだろうか。

 けっきょくは政治能力なのだが、国の政治姿勢は国民個々人の意識や人格の総体、とも言う。
 そうであるなら、霞が関を責めて指すこの指が、地球を一巡りして、この自分の後頭部を突いているかもしれない。そういうおまえはどう思い考えていたのだ、と。

 せめて、おじいちゃん、おばあちゃんがあのときもっと考え、声をあげていれば、という声がまたまた繰り返されないために……。



                <了>

   

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