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夢舟亭/浮想記(随想) BS-1「空港ピアノ」「駅ピアノ」 2018年 04月14日 楽器を弾き楽しむかたは少なくないようですが、この短いドキュメンタリー番組は、そうした「弾き楽しむ」人は少なからず共感しそう。 イタリアはシチリアの広い空港ロビーに、一台のグランドピアノが置かれている。 誰でもご自由にお弾きください、という意味で。これが「空港ピアノ」。 オランダはアムステルダムの駅の広い改札口の床にも、グランドピアノが一台。 これが「駅ピアノ」であり、置かれた意味は、おなじく、誰でもご自由に。 空港と駅では、それぞれにそこを行き交う人もその目的も異なるだろう。 けれど、人それぞれがもつ”マイ音楽”はあろうこと。 じっさいに、それらピアノ見つめるカメラには、様々な人、老若男女が、自分なりの好きなこの曲あの歌を鍵盤からつむぐ様が、映る。 もちろんほとんどは素人。いわゆる行きずりの一般人。 人通りの多いそうした場で、自主的に、楽器ピアノに向かうのだから、それなりに弾ける。のではあるが・・・。 そこでは、上手かどうかよりなにより、自分の心にあるこの曲を奏でる楽しみの時が感じられる。それがとてもよく伝わってくるのだ。 一般に”音楽”と漢字で書くと、ほとんどの場合、聴く側鑑賞する方を思うかもしれない。 音楽番組なら画面のこちら側は、まさに視聴者となって。 また演奏会なら、ステージ上が演奏する人で、やはりこちら側は黙って聴き入るギムが。 そして、その演奏者たちは、いずれもが上手で素晴らしい演奏をするに”決まってる”。 しかし、この空港と駅ではそうではなく、思い出のこの曲を、心に秘めたその曲を、と自分だけの演奏をしている。上手下手は関係ない。 なにせ、テロップには”独学”で覚えたとさえ表示される人も少なくないのだから。ピアノは好きでよく弾くと、その後のインタヴューに語る。 行きずりのそれらには、音楽その道を仕事にしている人も居たりする。さすがに上手い。 しかしそうした人も、このピアノでは、自分の心の曲を弾く。ピアノは心の表現なんだ、と。 じつはわたしも、極めて少々だが、弾く。 独学から始まりリタイア後のここ数年習ってもいる。ン十の手習いか。 けして人前で弾き聴かせるような類のものでなく、そうしたことを目標にもせず、あくまで自分の好きな曲を覚えては、独り静かに楽しむ。 だから、この番組のなかの人たちのいう、ピアノを弾くのが好き、という思いには心底共感する。 本来、音楽は完全なる演奏を拝聴する、ことで成立するたぐいのものでなどなく。 何気なく、口笛や鼻歌などのように、心のままに音にすることが極めて自然なマイ音楽なのではなかろうか、と思っている。 そういう意味で、わたしも音楽好きで、「自宅ピアノ」、の人。 <了> * BS-1「空港ピアノ」「駅ピアノ」 |
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