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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)
   
 
 
  映画『未来を花束にして』
                 2017年 09月28日



 未来、とはこの場合「開かれた政治」つまりは民主的な今日的社会、か。
 
 その昔かの英国でも、女性に参政権が無かった。選挙権が無かった。
 
 ちなみにわが日本国では、1946年。つまりは戦争後にやっと連合軍米国GHQにより選挙権が法的に解放された。満20歳以上の男女に選挙権付与と。
 ということは、それまでは・・・?
 
 ついでにいえば、農地解放、つまり小作制度も1947年になって、大多数の農民が小作人としての年貢苦から解かれ、土地を持った。これもまたGHQにより法制化された。
 
 どちらも、戦後、のことであり、わが国の”自力ではできなかった”ということになる。
 
 つまり国民自身が心血汗の苦闘の末に勝ち取った、”訳ではない”。いわば”棚ぼた”か。
 
 さて、映画本題だが、1910年代のことというから世界第一次戦の頃。
 貧困生活家庭に生まれ、育ち、今もなお洗濯工場で働く女性が、参政権を訴える陰の運動に目覚め共感して。
 
 ともに働く工員の夫と意見を異にしつつも、その主なるメンバーにまでなり、やがて・・・という、言ってしまえば、そういうストーリーなのだ。
 
 そこはそれ、コト、政治国政の話、となれば。
 
 過去現在において良い思いをしてきている、”既得権益”の者たち、はいつ時代も「抵抗勢力」であり変化を嫌う。
 それを「ぶっ壊す」者らは、反社会的な者と見なされ、排除の力を受ける。
 
 ま、それは今も同じか。
 
 しかし、そうした社会への問題意識が、改革意欲につながり、さらに行動に結びつけるには、その人個人への反発やバッシングは多い。
 その後の社会や市民生活への変化、影響力が大きいほどに。
 
 そういう社会的物議騒動を経て、はじめて、その先未来において、人々は当たり前となってしまっている”花束”を得た。
 
 つまり、「自由で平等な社会生活」を送れるようになった、ということではなかろうか。
 家柄階級や生活レベル貧富差に固定されず、努力や能力の可能性を磨き高めるチャンスのある平等な社会へと。
 
 それ以前、と、その後。そこに誰がいたか、何があったか・・・。
 
 時々はそういう視線で、浮かれた”電像箱”TVに、一方的に送られてくる偏ったテレビ放送ばかりではなく、こうした売れない目立たない誠実な映画も観たいと、T社の店舗棚の片隅を見繕っているしだいであります。
 
             <了>


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世界各国の国政選挙における女性参政権の獲得年表

映画『未来を花束にして』公式サイト
 
毎日新聞より
 



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