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夢舟亭/浮想記(随想) 『野の春』(宮本輝)を読む 2019年 02月02日 『流転の海』(1984年)から続く9作の、最終章としてのこの『野の春』(2018年)を読んだ。 作者は作品『泥の海』の映画化でも知られた、『蛍川』の芥川賞作家でありまた芥川賞選考委員となって久しい1947年生まれの人、宮本輝。 自身の父がモデルのこの一連の作品群。 大戦の砲火を戦友兵卒とともにくぐり抜けて引き上げ後、大阪を中心に事業を種々興すのだが、必ずしも成功とも限らず。 関係する人々への面倒見良い男気の見本のごとき父の人生をモデルに、これらの小説作品群にしたご苦労、今作品までその間37年を費やしたという。 近年わが国で発表される多くの小説、現代社会の人間関係を描いた作品から見れば、「今どきそんな人居ないぜ」と言われそうなほどの”親分気質”とでもいうその男性像。 ときに自分の家族さえ忘れて人を面倒見るその信念に、”昭和”の中頃の社会が懐かしくなってくる。 とはいえ、そこは現実の厳しさか、ときにその行いが裏目にも裏切りにもなって返ってくる。 が、それはそれと、割り切りも早いのが主人公。 50歳で若い恋女房との間にもうけた一人息子、それは”作者”のことなのだろう。 けれど、一連の作品では、この作者の目線の私小説的表現は、とっていない。そこが読んでいて快適だ。 その息子も20歳を超えれば、昭和の苦労人父も、70歳代。 当時を思えば、平均的寿命なのだろうか。 波乱万丈のその生涯の最期は、けして特別な華のときとも見えない。 けれど、その人に似つかわしく、春の日差し眩しいその朝に悼み訪ずれた人々、それら生涯に関わった多くの寂顔に囲まれ黄泉国へ発つ主人公とが、まさに”野の春”の花々のように感じられるのでした。 それこそは作者自身の父への感謝の思いでもあるのだろうと。 全9作を読んだはずでその時々に感動したはずも、内容の記憶はもう定かではない。けれど、それぞれに考え深いものを感じたのは忘れない。 そして今回も、今どきの文学へは珍しく感じたことのない感情移入と後ろ髪引かれる思いで、末尾ページを閉じたのでした。 <了> |
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