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夢舟亭/浮想記(随想)
 


 
  映画『セザンヌと過ごした時間』
                  2018年 05月20日


 小説『居酒屋』、といえば、そして『ナナ』と続けば・・・エミール・ゾラ、正式にはエミール・フランソワ・ゾラ、とか。
 
 この19世紀フランスのあの作家が、幼馴染みの友人である画家「セザンヌ」との長い交友の年月。それがこの映画。ポール・セザンヌが彼のフルネームとか。
 
 もちろんフランスの映画であり、セザンヌ没後110年の記念もあるという。
 
 わたしなど無知な者にとってセザンヌの絵は、ミレーの”農夫たち”やクールベの”埋葬”などの写実的なものから比べれば、やはりモネの”睡蓮”などと似た「印象派」の感があるのだけれど。
 
 本人は、断じて印象派ではないといったようで、それはこの映画でも、聞かれる。
 
 そしれにしても、当時の画壇仲間たちにとって、サロン「画展」での入賞への憧れはことのほか強かったようだ。
 
 なにせその評価は名声ばかりか”飯のタネ”にも大きくかかわるのだから。
 
 選ぶ側にはそれなりの基準があり、それから外れる作品には芸術のお国フランスといえど厳しかったようだ。新規の流れ”流派”というものは、いつでもそう簡単に市民権を得られたものではないということ。
 
 そういえば、先出しのミレーなども、人物絵といえば高貴な方々の肖像などという慣例から外れた、土埃の農夫絵は、問題外視だったようだ。
 
 今でこその名声も、当人が生きているうち、絵に打ち込んだ人生の中で得た人は、わたしたちが今この現代で知るよりずっと少なかったようだ。
 
 セザンヌもまた、生前には親友であるゾラにさえ認めてもらえなかったそんな一人だった。
 
 さらに芸術家の常か、この人もかなりの個性的な性格をもった人物。
 
 個性派画家といえば、これも映画になった”ゴッホ”がいた。
 炎の画家、とまでいわれたあの人は、似た者同士であるゴーギャンさえ音を上げたようだ。
 
 そんなわけでセザンヌもゾラとの交友は壮絶。
 
 そうした様子がこの映画の見所といえる。
 
 写真の合間に美術全集を開くのが楽しいわたしとしては、読み知って思い当たる当時の画壇や当時の芸術家たちの状況に、大いに興味が湧いたのでした。
 
 
 
                <了>
 

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映画『セザンヌと過ごした時間』


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