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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)

  米国映画「アメリカン・スナイパー」を観て
                      2015年 07月 25日


 春に放映されたアメリカからの中継録画アカデミー賞受賞式で、作品賞にノミネートされていたっけ当作品。
 当初スピルバーグが監督内定だったものがクリント・イーストウッドに変更。
 さらに、主人公となる実在したアメリカ兵が、この映画製作開始前に亡くなったという悲報も加わる、まさに話題作だ。

 さて「スナイパー」とはだが、狙撃手。腕の良い射撃手のこと。さらに加えれば、命中率のきわめて高い鉄砲撃ち。

 つまりは射ったら外さないアメリカ兵。
 イラクへの派兵における戦場で、射撃上手が多くのアメリカ兵の窮地を命を救い英雄視された若者。

 しかしイラク兵のなかにもまた、そういう名手が居た。国際競技大会での優勝者だ。

 ガレキとなった建屋ビルの隙間からの、ライフル一発がアメリカ兵を射抜き倒す。それはどこから撃ち出されてくるか分からない。
 それがアメリカ兵側の悩みのタネ。
 もちろんアメリカ側も、頼もしい名手スナイパーが居るわけだ。

 そうした極めて混乱した戦場らしからぬ、名手同士の命をかけた闘いを軸に話は転回する。

 とはいえ、この作品がけして戦争ドンパチものではないのは、主人公狙撃手アメリカン・スナイパーなる男の家庭家族のシーンがあること。

 彼自身は4度ものイラク派兵に志願してまで、自国兵の悩みの種イラクの名手を倒しに執着するが、そのことが妻の不安となり、とくに彼の精神的不安定、いわゆるPTSDを気遣う。しかし、自国での家庭生活の時々に平静さを失う男は、帰還中に通院を嫌う。

 戦地イラクでの攻撃、撃つも撃たれるもの撃ち合い、イラク側の殺戮の惨状狂状シーンなど、その過激さなど、見ていてきついシーンは多い。
 その最中に身を持って味わい続ける恐怖感となれば想像を超えよう。自国においてその恐怖の中で脳内に積層堆積してしまった緊張感など、解け去ることなどできるものなのだろうか・・・

 もう何も心配することはないのだと言われても・・、どこから、いつ、どう、襲ってくるか銃弾が、地雷が、手榴弾が、寝込みさえ襲われかねない、数々。
 今たったいま故郷を語り合った仲間が、突然鮮血を噴き巻き、手足や首を吹き飛ばして倒れる。
 そうした経験の数々を、忘れることができるものなのだろうか、ということだ。

 築き上げた多くのものを無意味なものと破壊しあうのが戦争だとは、戦争未経験な我ら世代もとうに承知。とくに敵国民の命を無にし合うことで勝利を得る合戦だ。
 敵の国と民が、衣食住はもちろん、生活とその環境すべてを消滅させては、もはや立ちゆかなくなるまで攻撃し尽くすことで勝敗を決する。

 とはいえ、この段階で負けた、降参だ、と簡単に諦めは一致しないのが民族だろう。
 わが国のめった打ちでの惨敗時でさえ、なかなか諦めきれない人たちが居て混乱があったのだ。

 こじれれば国を分断する内戦内乱。長引き終も見えないまま国際的な問題ともなろう。
 当然、世界の多くの蝿ウジ虫のような死の商人の、格好の餌食にもなるだろう。

 そういう戦いをかの米国は今もなお買って出ては、地球の裏側までも派兵している。その仲間作りをアジアの外れにへばりつく列島国にも・・・

 戦場となる国や民の後先き行く末までに責任をもつなどという、正義の神の御手のような殺戮合戦などは一度も出来ていないのに、である。
 いや、そんなことはそもそもありえないのだろう。

 英雄視されて葬られるこのアメリカン・スナイパーでさえ、その行いの報いは脳内に巣食い取り憑き、無事に戻れたはずの自分とその家族を脅かすくのだから。

              <了>


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