・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
夢舟亭 浮想記 −随想− 映画「THE33」 2016年 9月10日 いわずと知れた、チリ鉱山事故の救出の69日間、その映画化ですね。 副題が「チリ33人希望の軌跡」となっています。33は救出されて人数。 チリ共和国のコピアポ鉱山で、落盤事故により坑内数百メートル地下に生き埋めになった作業員33名と、それを救出しようと動く鉱山と政府関係者。 そしてなによりは坑内に閉じ込められた作業員の家族の叫び。 いうまでもなく、これほどの深さの坑内落盤で生き埋めという状況では、助けられない助からない、というのが関係者の常識的な判断。 悲痛なる家族の気持ちをいかに察しようと、閉ざされた坑内の状況を知る手立など無い中では、各国共通の見方となる。 そうした一般的なこの業界の意見見解から、国内外の救出を願う声の拡大に突き動かされて変わり、やれるだけのことをやろうと決する。 現実事実として有名になったあの落盤事故を、報道から知っている人たちの鑑賞にたえる映画作品に仕立てるのは、それ相当の覚悟と芸術的才覚が問われたろう。 生半可なアマさは、観ていて白ける。 かといって、現生の当人の代役に、あまりな本音を吐かせるわけにもゆくまい。 そうしたこもごもの条件のもとに、観る前から分かっている結論までを、どう見せぬくか・・・ もちろん、観るこちらも、スクリーンのドラマがすべて真実のものだと思っていやしないが、大筋は事実に沿わざるを得ないわけだ。 となれば、つまりは脚色や配役の妙こそが映画作品としての味を醸しだすことになる。 それにしても、家族の叫び、という被害者たちの思いの表出、というものは世界それぞれに凄まじいものを感じる。 どこかの国の報道映像のように、仕方ない、などという諦めの早さはアジア諸国でも見られない。 事故や災害などの報道に、けして怒りや悲しみの激しさ深さが見て取れないのは、もちろんそのような映像しか編集して載せないのがわが国だ、ということは分かっている。喜怒哀楽の激しさのない民の姿をもって良しとしているのだろう。東大震災の、仲良く並んで秩序良き穏やかなる民、か。 とはいえカメラの裏では陰には喜怒哀楽の感情の炎が噴き上げているはずなのだ。体内には熱き血潮がみなぎっているのは民俗差など無いのだから。 だのになぜか、今後二度とこのような被害者の出ないようにしてほしいと思います、などと被害に遭った翌日にすでに悟ってしまった善人聖人のごとき家族を見るのはいつものこと。 そんなとき、わが国ほど怒りを忘れたか、はたまた去勢されてしまった人種は、他国に居ないのではないか、と思わせられるのだ。報道する側もふくめた演出であろうが。 それは、権利と義務、などという理屈よりもっと内面に宿るべき、健全な生命の熱気を噴きあげるマグマ。その有り無しを認めるか否定するか、の話ではなかろうか。 そういう熱の総体集合体として、国が構成され意志あるごとく存在できるのではなかろうか。為人(人となり)が集まってその国の顔、表情や思いとなるのだろう、と。 あの国の民は、どういうものである、と評される顔のことである。 中国も韓国だってもっともっと民の意思が表明表出されて見えるのだが。 と、そんなことまでを考えさせられた映画でした。 <了> −*− チリ33人希望の軌跡 |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |
・・・・ 夢舟亭 ・・・・ |