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夢舟亭
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夢舟亭/浮想記(随想)
 



 『私を最後にするために』を読む
                                  2019年 01月24日


 原題「THELASTGIRL」(イスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語)という訳本を読み終えた。

 言わずと知れた2018年のノーベル平和賞、その受賞者が書いたもの。
 人権活動家、というのが彼女の現職です。

 イラクの小さな村に生まれ、多くの村人や家族のなかで楽しく育った彼女は十代後半に、”イスラム国”と名乗る黒いテロリスト集団に村人とともに襲われた。
 その時から彼女の地獄の日々が続く。

 村人家族の、男たちは銃殺され、女子供は捕らえられ離れ離れになる。
 若い女性は性奴隷として売買の品となる。
 そうしたなかの一人としての彼女の日々が、めんめんと語られているのです。
 とてもとても経験したその総てを公言などできやしないとこの人は言う。

 彼女たちにはいっさいの自由など無く、持ち主に選ばれ虐待(レイプ)され、主が替わり住居が変わる。その繰り返しのなかでのみ生きる日々。
 その間、家族の情報はもちろん連絡の手段も無し。

 鍵のかかった部屋から、垣間見える街の外や、移動の車窓から見る様子は戦場の町。
 とはいえ行き交う人たちは家族連れなど普段の通行人。
 非情な彼女の立場など誰も知りはしない。
 知ったとて、どれほどの人が手を差し伸べることか。
 そこはイラクという非常事態の国なのだから、我が身第一。

 イラク、と一口に言っても、そもそも国、国家として成り立っていないようだ。
 小さな部族や村、いくつかの宗教宗派に分かれており、それらがある面では手を繋ぎ、ある面では敵対関係に。
 そこへ一時アメリカという大国の軍隊が国連がと参画はしたが・・・。
 その一面をアクション的戦闘映画などに扱われたりしたにすぎない。

 現実の世界では黒ずくめのIS(イラク国)という集団が現れて、事を一層複雑にし犠牲を増した。

 そうした内外の戦禍交える国中で、苦しむのは小市民。無力であるうえに貧しい。
 生い立ちが違うことが敵味方の関係を強いられる。どれほど腹をわり本音で会話できるか分からないまま、住む地を追われ行き場を失う。

 そして、男性は兵士か死を選ぶことになり、若い女性は彼女のように人権など皆無の品物としての奴隷とならざるをえない。

 そんなお先真っ暗な彼女が、絶望の中で涙しつつ、ある偶然の隙をついて逃げ延びることが出来た。不思議なほどの助けの手も得た。

 その事が、世界に苦民難民としての同族の惨状を世界に知らしめる現在に通じる道だったというわけです。

 読み進むごとに感じるのは、人の成す非道無常の現実です。
 人はこれほどにも惨(むご)い行いを同じ人間に加えることの恐怖感。

 今、アジアの周辺国から戦時下での”まさか”と思うほど、日本軍の非道が指摘されています。
 ひとたび敵対する国同士が、殺戮合戦に突入してしまうと、人命というものが”モノ”としてしか扱われなくなる恐怖社会となるということでしょうか。
 それが当たり前、普通のことになってしまうのだろうか。
 その事に皆が不自然さを感じず、誰も異議を唱えたり同情し救ったりしなくなる。

 そういうことがある日ある事を境に起きてしまう。その流れに個人は逆らえず、集団として日々エスカレートして行く。

 などということがいかに怖いかという危機意識は、常に持っていたいものだと感じずにはいられません。

 一見平和なこの時代でも、今の日本からは想像もできない。
 そうした地獄の恐怖のなかに生きる人々が今現在、存在する。
 それが地球というこの星の地上のようなのです。


                <了>

   

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