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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   『ぼっちキャンプ』(BS−TBS)を観る
                 2022年 7月 18日


 ぼっち、とは”独りぼっち”の意味という。
 つまり主人公一人がキャンプをする。その様子の番組。

 したがって番組内容「ネタバレ」という気遣いはなく書ける。
 せいぜいが、どこでキャンプし、何を煮て焼いたか。

 ところで”ぼっち”だが、じつは私も子供の頃から”ぼっち”好き。
 他人と一日中一緒などということは、考えただけで苦痛以外のなにものでもない。
 かといって、人嫌いとか付き合い下手だと言われたことはない。

 でもこの番組の「ひとりぼっちキャンプするだけ」というタイトルは、自然に受け入れられる。
 よく見かける、わいわいキャハハハの旅やグルメ番組など一切は苦痛なのだ。笑顔が湧くなどほとんど無く、耳が痛くなる。

 またキャンプ自体はほとんど経験がない。観ていてしたいとも思わない。
 でも見飽きないできている。

 それはあくまで、”一人っきり”でつぶやきながらの一夜、キャンプでの挙動言動の時間のほうに共感できるから。

 さらに嬉しいのが、呑まない、こと。酒アルコールのこと。
 私もほとんど呑まない。日頃とくに呑みたいと思わない。

 話芸、古典落語が好きで酒呑みの噺は楽しめるが、自分が呑むかといえば、ノー!
 呑めないとか、体が受け付けない、のではなく、ほとんんどその気が起きないのだ。

 だから、他の番組なら、焚き火でじゅうじゅうと焼いた肉を口にするとき、当然ビールでしょう、となるシーン。ここでは、そんなことは一切無し。

 ただ食べる。口に含んで無表情に間をおいて、うまいよね。
 誰にいうでもない、つぶやき。

 この一言が、独りぼっち、いいよねぇ、と響く。風やせせらぎそしてランタンの明かりともに。

 独りぼっちなんて耐えられない、考えられない、という声もよく見かける。人それぞれの育ち方も色々関係しているのか。

 けれどこの番組がかなり続いているということは、案外”ぼっち派”は多いのではなかろうか。
 昨今、”引きこもり”言葉を、孤独の反意語的にした文言を目耳にするけれど、人は孤独を求めたがる面があるのかもしれない。実際、必要不可欠だと思っている。

 社会教育的には、「みんないっしょに」「仲良く」「寄り添って」「心を一つに」など連帯や絆を”善し”とするけれど。

 新居紹介番組など目にすると家族みんなの、居間団らん部屋の自慢が多い。
 各自の自由スペース、個性的な自由空間を持つという考え方は目にしない。

 リモートワークの様子紹介最悪の、居間に座り込んで子供にじゃれつかれなど論外。
 父親や人間としての頭脳をどう肥やすのかどこで増やし磨くのか、と。

 プライバシーという人権の境界、距離あっての人間生活だと私などは思っている。

 生活のなかで、ここからは、これからは、この先は、誰にも邪魔されず「自分との時間と空間」として、孤独を確保し生きることで自分を自覚しつつ自分が創られる気がするのだ。
 とうぜん、そう思わないとの声もあろうけれど。





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