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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 

  『チェルノブイリの祈り』
(スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ著)
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                           2023/01/29

 ベラルーシ人の父とウクライナ人の母の子として生まれ育ったジャーナリスト。
 今ではノーベル文学賞(2015年)を受賞した社会派の女性作家として有名。

『戦争は女の顔をしていない』、『ボタン穴から見た戦争』、『アフガン帰還兵の証言』など世界的な注目作品は「全米批評家協会賞」「ドイツ書籍協会平和賞」ほか受賞となれば、読まれたかたも多かろう。
 そしてこの『チェルノブイリの祈り』もまた。

 私はといえば、311(2011年3月11日)の大震災による東京電力福島第一原子力発電所の連続爆発事故(事件)の”日”が近いので。だから選んだ”チュルノブイリ”と”原発事故”。

 忘れようにも忘れられず、忘れるわけもなく、忘れるなどできようはずなし。
 技術立国ニッポンの総力をもってしても、次々に起きる爆発を止めようがない。

 その衝撃が世界的大惨事であり、国の危機であることなど認識する暇もないまま。
 全国民が為す術もない奮闘の経緯を、映像で見守ったあの日あのとき。その悔しさ虚しさ。
 触れられず近寄れず制御不可。ただ遠くから見つめるのみの極強大な核エネルギーの暴走。
 科学技術盲信過信「未来のクリーンエネルギー」の夢は、人間の無力絶望とともに、崩れ堕ちた。

 その後間もなく20万人規模の、原発所在地域周辺住民の避難大移動。
 年単位で右往左往し各地に分散。急場の仮に設けた住宅での春夏秋冬四季暮らしとなるも。
 引き受け市町村それぞれが担うご苦労は想像に余りあり。

 なにせ避難原因は、原子力発電設備複数の爆発による放射性物質拡散飛散。大戦争の敗北ですら遺してくれた山河ある「ふるさと」さえも、汚染して奪った。
 放射能、核エネルギー廃棄物その何たるかが分からず、また、知らしめず。
 不安と気休めが乱れ飛び漂うばかり。ネット社会が一層の拡散増殖し氾濫から混乱へ。

 不安が不満となるも、衣食住はもちろん家族、そして職まで奪われたよその地で。
 生活のほとんどに制約制限がかかるとなれば、やもうえまい。
『原発事故の川柳400 脱原発「福島からの風」(伊東 功)』は、当時のそうした声の代弁かもしれない。

 当時、避難の是非は爆発原発の地から半径キロ数で指示されたものの、肝心の放射線量での各自目で測れる数値ではなく。自主的な安全対策の避難も多かった。
 それは、「事故さえなければ」必要なかったことだろう。

 この「事故さえなければ」は、ほとんど「原発さえなかったなら」と同義語。いわゆる”反原発”の思い。政治的にいうなら、”脱原発”。

 大国アメリカやロシア、中国のようにドでかい国土、島国日本の20数倍もあればともかく。この逃げようもない列島に、なんと50数基も造ってしまっていてからは……。
 1基あたり兆円規模の費用をもって、むざむざ無き物と壊し捨てられようか、と”その筋”の勢力が悔しがるのも、すでに多くがご承知の現実。再稼働! と。

 直接間接すさまじい被害者があるのに加害責任者がいない、原発は悪、などメディアで禁句に近いのもそうしたウラがあるからだろう。
 その意見をもつ影響力のある著名人の顔はあれ以後ほとんど見えず、声も聞こえない。
 やはり電力業界はこの国の大いなる財力。立地県知事ごときの声もその席も、の力……か。

 かくして、国の”原発政策”は大きな変化もなく、いやじわりじわりと再稼働へ。早11年が過ぎようとしている。
 そんな折に手にした『チェルノブイリの祈り』という本。

 この中には多くの小市民の思いが声になり文字として。大同小異、異口同音、ニホン人フクシマの声にも似て。
 突然の避難指示や移動の混乱。そして故郷恋しさ。さらに差別。
 汚染による健康と土地食物への不安や、諦め。
 さらには「事故さえなければ」失うことのなかった家族の在りし日の思い出。

 そうした声、チェルノブイリ原発事故に何らかの関わりがあった人々と直接対面したインタヴューを収集しての『チェルノブイリの祈り』。
 そのいくつかは、先日みた映画『チェルノブイリ1986』のもとになっているとみた。

 チェルノブイリ事故がフクシマと異なり、原子炉そのものが爆発し吹き飛んだ。
 そのことにより一層汚染被害は拡大、広くヨーロッパほぼ全域に拡散。イタリアやスペインまでも。
 となれば、爆発源のチェルノブイリは途方もなく。
 收集作業の放射線被爆被害者は極めて多く。その危険な任は軍隊、軍人に。英雄として。
 そしてまた、命の危険性、健康への影響は当時やはり、知らされていない。

 知りうる頃になっての軍事作業者の、家族たちの心配ははかり知れず。
 実際、いまだ数えようもない死傷數その実態が、この本の人々の声から垣間見える。
 もちろん人命となれば、数の問題ではなく。一人ひとりに、息絶えるその時までの人生、生活があった。
 その思い出を涙とともに語る声は切ない。

 読み終えて思う今、あのときからのフクシマ人の声は祈りは、どこでどうつぶやかれ聞かれ記憶されているだろうか。
『チェルノブイリの祈り』はそういうどこか他人事ではない思いを抱かずにおれない一冊だ。

                 <了>






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