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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   GOTO選挙
             2021年10月23日


 選挙に行きましょう。

 と、棄権をしないように、の小学校で習ったこの言葉が声が、今見聞きしなくなったが、さていつからだったろうか。

 投票率の加減を党の運不運に関わる、とかいうけれど。
 また、報道などのインタヴューでも、「行かないと思う」などと平気でいっているし、ごく普通に”あり”の声として報じてもいる。

 いずれも、棄権、という投票券を使わず捨てるのへ、一切云々しないどころか歓迎さいも・・。

 平和な社会の姿なのだと見過ごせばそれでいいのかもしれない・・・。

 少なくとも、けして大きくも強国ともいえないこの島国で、国民同士が思想意見で真っ二つに別れ、武力火器兵器による紛争対立のただ中にでもあれば・・・。
 あるいはまた、強大な異国隣国などの侵略や植民地化の圧政下におかれ生活の多くの面に制限を加えられ、強制的な労働などを強いられるような状況になれば・・・。

 自国民による自国民のための、自由選挙を行えるまでに社会の落ち着き平穏が訪れるだけでも喜びとなろう。
 当然皆投票所に列するだろう。

 そうでない今のわれらは幸いなり、だ。

 が・・・、この国とて実は、一般市民われられが年齢に達すれば男女の別なく皆おなじ一票の権利を掴んだのは、さほど古い話ではないんですよね。

 第二次世界大戦でこの日本敗戦で集結したのが1945年だから、75年前。
 その後この国を再生統治の役を担った戦勝国たち連合軍。多くはアメリカ軍が、この国の憲法はじめ多くの因習や慣習による古い体質を換えた。

 その中には、教育制度をはじめ労働者の権利や男女差も、教育の考え方も、そして経済活動にかかわる財閥の整理などなど・・・。

 このころまであった地主から土地を借りて耕し農作物を得、出来不出来に関わらず年貢税を収める小作制度もまたこのときになってやっと・・・。

 そうした日本改善のなかに、高額納税者で25歳男性、という選挙権制度もまたこの時期に他国人の手により・・。

 選挙を、したくても出来ない、時代が「行くかどうかワナカナ〜イ」のこの国のそう古くない歴史にあった、ということ。

 そんなことは中学の社会科で習って知ってるよというかもしれない。
 でも選ぶに値する人が居ないんだよと。

 民主主義は時間のかかるものなのだとはよくいわれる。
 独断で即断即決できる独裁政治とはちがう。

 全部の民衆の声や意見の総合であり平均であり総意により自国を作ってゆくもの。
 必ずしも一個人の思いや考えに100%即しフィットする結果にはならないもの。

 だから、そうなら、自分は参加しない、というなら民主主義国家の民にはなれないのということになるか、と。

 いずれにせよ、その中でより近しい思想信条の人を”選ぶ”、行為でより民主主義の国に近づけ育て遺し伝えてゆくしかない。

 それがおそらく民主主義社会の一員のとるべき行為なのではなかろうか、、と・・・。





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