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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


    映画『グリーンブック』を観る
               2019年11月13日

 米映画、『グリーンブック』、を観た。
 映画ファンご存じの、アメリカはアカデミー、作品賞。2019年、91回目のもの。

 『グリーンブック』とはなんぞや。
 自動車で旅するアフリカ系アメリカ人(以下黒人と記します)たちのための、ガイドブックのこと。
 人種を別とするアメリカならではの頃の、黒人をグリーンとして、彼らを受け入れてくれる施設のリストが載っているという。

 人種開放は成ったもののいまだ差別区別を強いられた頃のものという。1930年代から60年代までの米国内の法はそれを許していたらしいのだが・・・。

 さて映画のほうだが、無骨者のある失業白人のおっさんが、どちらかと言えば”嫌い”マーク、黒人の車の運転手になることに、不承不承の承諾をする。
 背に腹は代えられぬ、家族持ち生活の身となれば。

 この当時、一口に黒人といっても、奴隷解放後に腕ひとつで地位を築いた人もいる。それを認め受け入れる白人たちもまたいた。

 で、この人はアーティスト。ジャズっぽいクラシックと見えたが、ピアニスト。
 かなり著名な位置に上り詰めてはいた。
 したがって自身では車の運転はしない、ということ。

 どこのどんな芸術でも、やはり上位に昇る人は精神の鍛え方が違うものなのか。
 あるいは、人種差別のお国だからそれが必要だったのか。
 この人はなかなかの人格者である。

 その違いを、露店の品を失敬する野卑な白人運転手をいさめることで、対比され見えてくる。

 とはいえ、アメリカのとくに南部の差別がまだまだ残る地域の演奏ツアーでは、人格だけでは成し得ないのも現実。
 そこで運転士氏の腕力がガードするわけだ。

 いうなれば、この”持ちつ持たれつ”、教え教わりつつ、ある種珍道中により過去になし得なかった黒人音楽家の南部演奏ツアーを、どうにかこうにか終えるのであります。

 この珍道中の途のあれこれのなかで、二人のやりとりにこの時代のアメリカと白黒差別の様子が、観る側の脳内へじわりと吹き込んでくれるわけです。

 そして、先述べの白人運転手氏の黒人”嫌い”マークが、敬意をも加えて消えてゆくということが、見どころの眼目。
 さらに、これは実話であることも加えておきましょう。

 こうした作品は過去にもいくつかあり、ロードムヴィーならわたしは『ドライビングMissデイジー』が思い出され、ちょっと比較したり・・・。
 1989年のやはりおなじく作品賞でした。

 そういえば、どちらも出演者がその他を除けば基本は車内二人。
 あちら『ドライビングMissデイジー』は運転手が黒人で白人の奥様を運ぶ。
 運転手を演じた俳優がこのあとやたらスクリーンに見るようになったことはわたしでも知っている、あの人。

 それにつけても、こういうのを観るにつけ、アメリカって国は、なんとも複雑で酷い社会であり。また自由もいっぱいあって認めあうものだなぁと、つくづく感じるのであります。

 だってこうした作品をですよ、その年数何百か知らないけれど、数多く生み出された映画のなかから、「後世に遺しても子孫に観せたい」と選ぶ”作品賞”の栄誉を、こうした作品に白黒人映画関係者たちが、きっちり選び、与えるのですから。

 なにせ大統領を”バカで間抜け”とまで題する作品でさえ許されるのですからねぇ。信じられませんって。

 植民統治下で、散々非人道的扱いをしておきながら、ゼニで解決しちゃったからごたごた言うな、と切り捨てた隣国の少女像ひとつが、アート展示の会場をSTOP閉鎖させたりする”まだまだ”などこかの国では、とても追いつけないほどに、自由ではあるよう。

 そういったことを考えさせてくれたおすすめの映画作品でした。




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