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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   白鳥は元気いっぱい

            2019年12月14日

渡り鳥、白鳥たちが今季も飛来してくれました。
ことさらにそういう言い方になってしまうのは、やはりこの秋雨による河川の大氾濫があったから。

洪水の濁流が川からあふれて、周辺宅地をも?みこんだ。
その悪夢は今年秋の忘れようもない大災害。

河川のあの濁流は岸辺の形まで変えてしまった。
そして様々な汚物廃棄物、いわゆるゴミを運んだ。

河岸の様相は、そう、ミュージカル”キャッツ”のステージのようだ。
廃棄物で成り立っている野良猫たちの巣窟のアレのよう。

もっというなら、白鳥の湖のバレエのステージ、最終幕の悪魔ロットバルトが縦横に駆け巡り王子とオデット姫を苦しめるあの暗黒のよう。

そんな舞台装飾のごときわがフォトスタジオ冬の河岸が、今年のわたしの写真生活とあいなった。

であるにもかかわらず、渡り戻った彼ら彼女たちの様子はといえば、一向に周囲の変化になど頓着せず。

向こう北極圏で、や、こちらまでの旅路のあれこれ、をにぎやかに言い交しているようなのだ。

 ね、ね、聞いてきいて。

 あれってさぁ、なんなんだろね。

 うんうん。

 そうそう。

 ほんとねぇ。

 と、いうふうに。

 ここで我ながら可笑しくなるのは、「彼ら彼女たち」と例えながら、わたしには白鳥たちのすべてが”彼女たち”に見えているようなのだ。

 川面に群れ戯れているときはそうなのだが、これがさぁ離陸しようとして、滑空する川中に並ぶと。
 声掛けあいながらその準備を互いに促す。ここでは”彼ら”に見える。

 猛スピードで大翼を羽ばたきつつ、水面を蹴り一気に駆け上がる、その時の覚悟、失敗による怪我などすれば命にも係わる、という緊張感がズームアップしたファインダーから、確かに伝わってくる。

 当然、風速が多い少ないとか風向きが変わったということに、彼らは敏感に反応し、滑空の適否を読む。
 中止すべきときは、きちんと止めて待避の群れにもどる。

 この点が、ほかの野鳥たちの飛翔のしかたとの大きな違いだろう。

 雀や鴉(からす)、鷺(さぎ)などは、羽を広げるより早くふいと飛びたてるが、白鳥はたっぷりと滑走距離をとるようだ。
 これは、水面からでも、餌場の陸地でも、似たようなのだ。
 たしかアホウ鳥などもドキュメンタリーなどで見るとそういうふうか。

 で、この日に1,2度しか見せない水面からの滑空の様子。
 この様子は、また大きいだけになかなかいい感じ、見映えなのであります。
 写真的に”絵になる”。

 動きの速い被写体を撮るには、シャッター速度を1000分の1秒以上にも上げたり。
 また逆に、100分の1秒以下にして、動きをわざと流してみたり。

 真っ白な体と大翼の白鳥は、この瞬間素晴らしい姿、その動きを見せてくれる。
 まさにチャイコフスキーやサンサンーンス、シベリウスなどが惹かれたその魅力がここにあったのでは、と思うほど。

 今年も各地で、その魅力的被写体に、多くのレンズが焦点を合わせるのだろう。

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   白鳥たちは元気いっぱい
             2020年01月15日


 今季は肝心の川が河岸が変形してしまっている。
 秋の台風による大量の雨が氾濫したその洪水で押し流されたから。

 一級河川は国土交通省の管轄。つまり政府の責任管理。
 だからか、さっそく手が加えられ工事中。
 うっそうとおい茂っていた河岸の雑林は伐採されてしまった。

 それはわたしなどが三脚肩に歩くには都合よい。
 けれどはたして、彼ら白鳥たちにはどうなのか・・・。
 通りすがりに気になってはいた。 
 が、そこまで出向いて見れば、なぁにそんなことはいっこうにお構いなし。
 クルマを降りると、もうあのクエェクェの声が飛び交っていた。

 先年BSで彼らの渡り先の北極圏では、彼らはそれぞれが夫婦つがいでばらばらに生活していたが、こちらでは”和”の国、”絆”村社会のせいでもあるまいが、なぜか集団でいる。
 白鳥とはてっきりそういう鳥なのかと思っていた。

 ま、それにしても寒さに強い。
 すいすいと水面を滑り泳ぎつつ、工事中の川を住みかとしている。
 親代々から教えられたように、毎年変わらずにこうして同じ地に舞い戻ってくる。
 こちらもそれを迎えては、手土産の食パンなどをちぎって投げ与える。
 そういえば、鳥エンフルエンザが話題になったのは何年前だったか。
 その後はほとんど白鳥への餌をやる家族などが見られなくなった。
 なんともゲンキンなものだ。
 言葉が通じたら彼らは何というだろうか。

 とはいえ、彼らの寿命はどれほどなのだろうか。
 以前の、人間らの歓迎など憶えている老鳥はいるのかどうか・・・。

 ま、飛来してもらえるだけでも、わたしなどカメラライフを楽しむものには、この上ないモデルなのだから、この先も大いに歓迎の意を示しとかにゃならんと、首長く傾げ催促する目に、微笑んだのでした。


     -*-*-*-

   やっぱり白鳥って
               2020年02月03日


 白いから”白鳥”、とはちょっと安易な名称。
 でも案外、その白さを実感しての名付けなのか。

 なんでもそうだけれど、実際に見てみなきゃ分からない。
 百聞は一見に如かず。

 とはいえ、アヒルをただ大きくして白いだけ、と見えるのも事実。
 とくに陸にあがると、あのべたっとした水かきの黒く短い脚。
 大きなオシリを左右に振りふり歩く姿は、ちょっとかなぁ・・・。

 そういえば、醜いアヒルの子、というおはなしがある。アンデルセンかな。
 子供のころの白鳥は白くないので、仲間に異種かと嫌われるというあのはなし。今でいうなら差別のいじめ、というところ。
 灰色まだら色、だから。

 ま、実際は、親鳥や仲間がその色を醜いとか思うはずもない。
 皆そうした羽色から白に変わってオトナになるのだから。
 見ていると彼らは家族単位で集まりとても仲が良い。

 とくに、彼らが見映えよくなるのはやはり、大きく羽ばたき水面を滑空して、飛び立つ瞬間。

 瞬間、だからめったに目にできない。
 大型の飛行機よろしく滑走距離が長い。

 またいち日になんども離陸着陸をすることがないのも眼にできない理由。
 雀やカラスのようにひょいひょい飛んだり跳ねたりしない、出来ない。

 だからか、離陸時に衝突などがおこり、羽根の怪我などもあるようだ。
 これはスピードが出るだけに、飛ばなり、下手すれば命取りにもなる。

 なにせ飛び立つ先は日々の食事所、餌場であり、数千キロ先の北極圏という第一のふる里。自力で行けなければ・・・。
 気の毒な姿を年に一羽は目にする。

 そうした数ケ月をこの地で過ごす彼ら彼女たちの様子は、わたしなどカメラライフ、フォトライフのかっこうの被写体となる。
 だから、ときどきは手土産などもっていって振る舞うのだが、思えば安いものだ。

 こうして春の梅が咲くころまでを、真っ白な大翼の羽ばたきを河岸の寒さに負けずファインダーに見入るときって、あんがい至福といえるかな。


    -*-*-*-

   飛ばない白鳥
          2020年02月23日


 飛ばない、といっても怪我や病気というわけではなく。

 いつものように手土産をもって出向いた白鳥たちのいる河岸。
 今年の暖かさもあってか、残り少ない感じは、すでにあちら北極圏へご帰還あそばされたせいか。
 それでもまだ何家族かは居残っていてくれた。

 だがしかし、いっこうに飛ばない。

 白鳥たちを撮る楽しみは、大翼を羽ばたき川面を滑走し飛沫を輝かせて飛びあがる、あの瞬間です。
 その姿をいろいろな撮り方、カメラの設定を、種々工夫し撮ること。

 ということは、飛んでくれなきゃ始まらない。 

 他の珍しい野鳥などを撮るのは、その姿を見つけ収めればまずは成功、だけれど。
 白鳥たちはといえば、河岸にゆけば居るし、見られるし、撮れる。
 彼らは人影に逃げるどころか寄ってくるのもいるほど。
 わぁー白鳥っ! 居るいる。
 などと叫んでは、携帯電話のカメラに収めている子女も訪れたりする。

 だがしかし、三脚など設置して人並みに、ズームレンズを備えてからには、それだけじゃぁ・・・ねぇ。
 というわけなので一応飛ぶはずの時刻を見計らって出向ている。

 にもかかわらずその日の彼らは中洲で戯れてばかりいるのであります。

 思うに、生まれ故郷へのご帰還旅の準備期間にはいったのかもしれない。
 そのための休息、体力温存なのではあるまいか。
 だから日本列島での越冬の日々の、餌場への飛行は行わないのかもしれない。

 ああそうか、分かりました。
 と、ここで、はいそうですか、ではお元気で。
 と、早々に退散するのも、なんとなく冴えないのであります。

 そこで、考え方を変えた。

 わたしは野鳥といえばこの白鳥以外は興味が無い。だからほとんど撮らない。
 その鳥の魅力はといえば、やはり真っ白な大型の姿にある。
 ならばその魅力、彼ら彼女たちの姿をしかと見せていただこうではないか。
 ほんとうに観るに堪えるほどのもかどうか・・・と。

 写真を撮るということは、人間などの場合でもそうだが、あくまでもその一瞬の表情を切り取る。
 だから、それを撮った者の感情というか思いがこもる。
 カッコよく言えば、写真は、”写心”というゆえんがここにあるらしい。

 美しい、と思いながら被写体に向かえば、自然とそう見えてくるし写るのだとか。
 当然、その逆もまたあるというのだが。

 ま、そんな屁理屈をつぶやきながら、川面の飛ばない白鳥たちの様子を、種々撮り収めたというわけ。



            −*− 10:00

   白鳥がきた
            2020年12月29日

 今季も”また”白鳥がきた。
 ワタシ的には”来てくれた”なのだが・・・。

 とはいえなんと言っても今年はコ・ロ・ナ。
 加えて、鳥インフルエンザ。

 さぁ困った。

 この鳥インフルエンザ、人間にどれほどの悪影響を与えるのか。
 鳥類の感染は大いに問題視されているけれど。
 彼ら渡り鳥がそのウィルスを身に着けて来るというけれど。

 やっぱりなぁ、数千キロもの自力飛行を経て来てくれたことを思えば。
 それは親から子へと教えられた通りの空路をたどっただけだの本能、性なのだと言っても。

 また来たか、よしよし、と餌を差し出したくなるわけでございますわい。

 また彼らときたら、とにかくなついてしまう。ずうずうしいほどに寄ってくる。
 そこがいいんですねぇ。

 そして、大川面や水辺に憩う姿はいかにも大型の鳥ぜんとしているが。
 いざ飛行となると、その優雅な動姿がいい。

 そんななか、彼らの慎重さに驚く。

 航空管制室もびっくりに、滑走路(水)面と風向き具合や風力を読み、隊列を組み互いにクェクェと意見を交換しつつ、そのチャンスを待つ。

 何よりも恐れ入るのは、ノー! を出すものがいるということ。
 リーダー格と思しき先頭に位置するものは、その声に従うことが多い。
 
 この状況ヤバいよ。
 うむ。そうだな。一時飛行取りやめにしよう。

 そういうふうに、飛行準備体制を解く。

 滑空の瞬間の見事な真っ白い大翼の様を、しっかり追い収めようと、望遠の焦点を合わせて待つわたしは、つい舌打ちのひとつもしたくなる瞬間です。
 
 しかし、そんな人間ごときの思惑などより、彼らの身体傷害が一生の危険回避の慎重さが、はるかに重要なことはいうまでもないわけで。

 こうした状況判断ミスによるのか、大翼や足に傷害を負った可愛そうな白鳥を何度か目もしている。

 翼を広げれば1mを超える白鳥は、小型の鳥たちと異り、飛行開始時ある程度の滑走距離がほしい。
 それはちょうどジャンボジェット旅客機の離陸に似ている。動き出したら止めにくいスピードが出る。

 そうした日に1度の離陸の先に、何があるのかといえば。餌場となる田畑。

 そのために、待ちかねた程よい向かい風に対して翼を広げ風に乗って、水面を蹴り水しぶきをあげ、舞い上がる。

 そうした姿を収めたさにここしばらく、河岸に場所を見出し三脚を立てるのは、寒いとはいえ少なからず心熱くなるひとときなのであります。

 さぁ飛べ。そんな楽しみはまだ始まったばかり。



         −+−

   白鳥たちと
          2021年01月17日


 川岸はこの時期ことのほか寒い。
 だから重装備の寒さ対策が要る。

 身を守る衣類は、散歩時のものの背に”ほかほか温カイロ”を。
 更に防寒のジャンバを上下に着込む。
 加えて登山靴の底にも温カイロ。
 首から上もしっかりと覆うことはいうまでもない。

 と、こうまでして出向いてみると、一番寒い今季も数多舞い戻ってくれて川面に浮かぶ白鳥たちの、羽毛の身体はどうなっているのかと思ってしまう。
 まるでこの寒さを楽しんでいるようにさえ見えるのだから。

 さて例により、川中をとらえるによい小高い場所に、三脚を伸ばし広げてカメラを載せ水平にする。
 手ブレ防止を外し、シャッター速度優先やフィルターの角度ほか種々の自分なりの設定調整をひと通り終える。

 この時点で一呼吸。
 あらためて川中のモデル被写体たち、ロシアからのバレエダンサーのご一行の様子を見渡す。どういう角度でどういう構図でと。

 いうまでもなく彼ら彼女たちの見栄えの良さというなら、撮る人のほとんどが”飛翔の一瞬”と口をそろえよう。
 それほどに、白鳥たちの大翼の広がりの瞬間は綺麗このうえない。

 とはいえそれを見逃さずいかに撮り収めるることが出来るかは、まさに腕次第。
 そうした良し悪しや向上の可能性を、自分なりに楽しめるのが白鳥の撮影。
 
 ほかの野鳥も撮る人は多いだろうけれど、わたしはまったく白鳥以外は興味薄で、撮らない。
 珍しさ、希少価値などには興味がないというべきか。

 なにせもう何年も撮って飽きないこの白鳥たちときたら、お土産に持参する食パンの袋をやぶり出すだけで、先を争い寄ってくる。
 ようするに白鳥という野鳥渡り鳥は、とくに珍種特殊な鳥ではなく、飛来地では撮ろうと思えば誰でもできる。
 寒ささえ我慢できれば・・・・ではあるが。

 羽ばたく瞬間が撮る醍醐味、といったけれど。
 大きさゆえか、彼ら彼女たちは見ているとけっこう表情がある。
 表情があるというより、そういうふうに見えるのかもしれない。

 いやいやそうではなく、生けとしいけるものすべては、”食”や”生殖”、”子育て”や、家族や仲間意識など多くの本能的行動を生みだすはずで。
 白鳥は大ぶりなだけにそうした動きが見えやすいのかもしれない。

 ま、そこは贔屓目もあってか、飛翔までの長い待ち時間のなかで見ていると、なかなか興味深い。

 成鳥の全翼が真っ白の野鳥は少ないのではなかろうか。
 まさに”白鳥”とはいえている。

 その白無垢の大翼を、めいっぱい広げ羽ばたきし、水上を風に向かって走り出すのだ。美しくないはずがない。
 朝陽が差すときなど、蹴り上げる水しぶきも舞い上がり、まさに一服の絵。
 そう見えないならそれはわたしが未だ撮り下手だから、でしかない。

 ところで白鳥の雄と雌の違いはかなりの専門家でないと区別つかないとか。
 そう聞くまえからわたしは”すべてが彼女たち”、つまりメスにしか見えていない。

 そんな彼女たちとこの冬もしばらく、逢瀬の時、いや例年公演の豪華バレエステージを、川岸の上席にひとり陣取って、寒いけれど、鑑賞。これぞ至福、の時をおくっている。

 パチパチパチ・・・。ブラボー!




              −*−

   メいっぱい飛ぶ白鳥たち
               2021年01月23日


寒風に吹きまくられつつも凍みた河原に立って、川面にたむろする渡り鳥の白鳥たちを遠く見下ろす。

今朝もきたこの辺に人影はなく、いうなれば”独り占め”のモデルたち。

東西に流れるこの川の上流中ほど、そして下流と群れは別れているものの、皆元気に啼いている。

クェー、クェーのこの声は、じつによく通るようでかなり遠くまで聞こえる。
そして仲間どうしが始終啼き交わす。

風に向かって飛び上がって雲に消えたかとおもうと、啼き交わしつつ舞い戻り、仲間のいる上空を大きく旋回して啼いては、何か交わしている。

川面から中洲からと意見情報など交流しては、納得してかまた飛び立った先に向き直り、去ってゆくのだ。

先に行ってるけど、あの山林などに猛禽類がいるかも知れないからね、などと注意してるのかな。

残留組とおなじく、わたしも上空を大きく旋回する一団を手庇で空を見仰ぎ、雲のかなたに消え去る白鳥たちをおくる。

さて、と手頃な位置に三脚を立てカメラを備えて、飛び立ちそうな群れへズームする。

今日は思いっきりスローでゆこうか。
”スロー”とは極低速シャッター速度のこと。
いわゆる”流し撮り”などともいう。

低速で開閉するシャッターで動く被写体を撮る。
と・・・何が写ったか判らないほどダブった光と影になったりして被写体が定まらない。
被写体が高速で移動していればどうか。光と影が横縞になる。

では移動する被写体と同じくそれにあわせてカメラも動かせば・・・。

動いている被写体の姿は乱れるものの、移動する被写体の背景はそれ以上に光と影の横縞として流れる。
その中で被写体をあるていど止めて写せる。

これが流し撮り。
よく列車などを撮る”鉄ちゃん”たちがやる手法だ。

腕があがればじつに見事に背景が流れ被写体は止めて撮れる。

もちろん互いに動いているのだから、「動かないでね、はいチーズ」などとスタジオで照明やフラッシュでキッチリ撮るようなわけにはゆかない。

けれど、乱れた映像だからこそ躍動感が”動き”となることも事実。

1000分の1秒などの高速シャッターで瞬間を止めて切り取ることの美しさとは異なる、興奮や緊張感とでもいうものを収められる。

ま、こんなこともカメラを楽しむことのひとつ、というわけ。

このスローシャッターで白鳥の飛翔の瞬間を撮ることもまた、大いに楽しめるということ。

百”文”は一見にしかず。
まずは動かぬ絵(1枚め)との違いなどご覧あれ。白鳥たちが動き背景が流れているかどうか。

少しでも白鳥たちに元気を貰えればサイワイ。




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