・・・・
夢舟亭
・・・・


夢舟亭 メインページ 《減考揺思》
              過去掲載記録 2025年 7月〜




減考揺思 #125 (2025/07/20)

 泥舟に乗ると。
 船底が溶け出し沈むのに時間がかかる。
 だから乗員はおかれた事態に気づきにくい。

 似た喩えに、鉄板上のカエルがある。
 常温鉄板上のカエルは、徐々に加熱される変化に気づかず、高温に至り焼けてしまう。

 自分のおかれた状況その事態を、自身が感知認識することは、とても重要。
 しかしなかなか難しい、という喩えか。

 他人眼には、口元の飯つぶなどすぐわかる。
 だが口元を拭ったり鏡を見る習慣は少ない。

 今年も「終戦」言葉文字を見聞きはじめた。
 敗戦後80年は、鎖国ちょんまげ時代の孤島列島のオープン開国からは160年弱。
 新鮮外風に伝え聞く西洋文化の高度さにおったまげて、追いつけと謙虚に真摯に学び。

 しかしそこは人間。
 勝ち戦さひとつを境に自信を得、戦国時代侍根性勝ち魂か、傲慢暴走、他国異国へ進軍。

 だが滅多打ちの惨敗。百万人規模の大犠牲。
 終戦、ほうほうの体で引き上げ開拓民と軍人が見た列島全土は焼け野原。

 苦渋辛苦の汗と涙の反省。戦後復興と立て直してみればまた。
 類まれな高度成長ともて囃され天狗鼻。

 気づけば、失われた30年、浸水ひたひた。
 犯罪傾向変移、政治売買体質、経済産業不活性、農林水産不透明。法曹界、医療・教育・報道などへ不信感増。市民生活・労働意欲・教養芸術文化などの遅滞後退……。




     =======《>☆<》=======



減考揺思 #124 (2025/07/10)

 こういうの観たこと無い。
 こういうの初めて聴いた。

 初めて、の衝撃。
 耳眼を奪い心に沁みる。
 芸術の基本がこれだという。

 いかに基本通りでも、技術的に完璧でも。
 一度何処かで眼耳にし、既視認識ありの同類異作には感動も湧き難い。

 これは芸術家にとっては当たり前でありまた永遠の課題。
 古今東西美術家も音楽家もまた文学家も、新発見の峰を見出し到達し道を拓き名を遺した。
 苦悩老域に至って、もあればまた、すでに若干20〜30代にして、も。

 人々の眼耳にそして心いわゆる審美眼が、百年単位の後まで、天才との栄誉を与えてきた。
 そうした「発見」の作を、精神活動として受容し、心の底まで揺さぶられる時こそ、芸術を味わう楽しみか。

 世界人類は過去現在、天災人災混濁の災厄を浴び困惑苦悩の渦に翻弄されつつも。
 心の拠り所あるいは生きる指針として、前述芸術遺作のなにがしかに触れることは、実物か写しか、実演か再生か、原書か翻訳かなどの手段を問わず。

 今時代社会こそ、心落ち着け、小手先の拝金商業作の渦中から、清濁混合腐臭の山積から、選り分けて、眼耳と心を洗い流す清水とすることが必行かもしれない。

 少なくともこのアジアの端の平和な島国において、望むなら今のところ制約はない。


・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・
[ページ先頭へ]    夢舟亭HOME    「創文館」    「随想」目次