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夢舟亭
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夢舟亭 メインページ 《減考揺思》
              過去掲載記録 2025年 7月〜




減考揺思 #124 (2025/07/10)

 こういうの観たこと無い。
 こういうの初めて聴いた。

 初めて、の衝撃。
 耳眼を奪い心に沁みる。
 芸術の基本がこれだという。

 いかに基本通りでも、技術的に完璧でも。
 一度何処かで眼耳にし、既視認識ありの同類異作には感動も湧き難い。

 これは芸術家にとっては当たり前でありまた永遠の課題。
 古今東西美術家も音楽家もまた文学家も、新発見の峰を見出し到達し道を拓き名を遺した。
 苦悩老域に至って、もあればまた、すでに若干20〜30代にして、も。

 人々の眼耳にそして心いわゆる審美眼が、百年単位の後まで、天才との栄誉を与えてきた。
 そうした「発見」の作を、精神活動として受容し、心の底まで揺さぶられる時こそ、芸術を味わう楽しみか。

 世界人類は過去現在、天災人災混濁の災厄を浴び困惑苦悩の渦に翻弄されつつも。
 心の拠り所あるいは生きる指針として、前述芸術遺作のなにがしかに触れることは、実物か写しか、実演か再生か、原書か翻訳かなどの手段を問わず。

 今時代社会こそ、心落ち着け、小手先の拝金商業作の渦中から、清濁混合腐臭の山積から、選り分けて、眼耳と心を洗い流す清水とすることが必行かもしれない。

 少なくともこのアジアの端の平和な島国において、望むなら今のところ制約はない。




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減考揺思 #125 (2025/07/20)

 泥舟に乗ると。
 船底が溶け出し沈むのに時間がかかる。
 だから乗員はおかれた事態に気づきにくい。

 似た喩えに、鉄板上のカエルがある。
 常温鉄板上のカエルは、徐々に加熱される変化に気づかず、高温に至り焼けてしまう。

 自分のおかれた状況その事態を、自身が感知認識することは、とても重要。
 しかしなかなか難しい、という喩えか。

 他人眼には、口元の飯つぶなどすぐわかる。
 だが口元を拭ったり鏡を見る習慣は少ない。

 今年も「終戦」言葉文字を見聞きはじめた。
 敗戦後80年は、鎖国ちょんまげ時代の孤島列島のオープン開国からは160年弱。
 新鮮外風に伝え聞く西洋文化の高度さにおったまげて、追いつけと謙虚に真摯に学び。

 しかしそこは人間。
 勝ち戦さひとつを境に自信を得、戦国時代侍根性勝ち魂か、傲慢暴走、他国異国へ進軍。

 だが滅多打ちの惨敗。百万人規模の大犠牲。
 終戦、ほうほうの体で引き上げ開拓民と軍人が見た列島全土は焼け野原。

 苦渋辛苦の汗と涙の反省。戦後復興と立て直してみればまた。
 類まれな高度成長ともて囃され天狗鼻。

 気づけば、失われた30年、浸水ひたひた。
 犯罪傾向変移、政治売買体質、経済産業不活性、農林水産不透明。法曹界、医療・教育・報道などへ不信感増。市民生活・労働意欲・教養芸術文化などの遅滞後退……。




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減考揺思 #126 (2025/07/30)

 熱地獄を現世であびるごとき酷暑の日々。
 35℃を超える日照りはシンド、堪えます。

 昼間の暑さもさることながら夜間の熱気も。

 地球は壊れてしまったのか、との声もある。
 だがこの高熱は遙か彼方の太陽の熱。

 焚き火なら数メートル離れりゃ感じない。
 が、数千℃という太陽熱は、一億数千万キロ先から届いてこれだ。

 宇宙の神秘、想像もできない現実は、まだまだ限りなく未知。
 
 それはともかく、異常気象と言い交わすこの暑さ、いつまで続くものか。
 もっともこの、異常気象、というのも所詮はわれら数十年の人生経験でのハナシ。

 何十億年もの地球年齢からすれば、塵埃ほどの超短時間の微変動。

 過去地球は、百度ほどにも燃え、またガチガチマイナス数十度の凍りつき、も。
 それからすれば、上下10〜20℃ごとき変化など、しゃらくせえハナクソか。

 とはいえ不甲斐なくも悲しき人間の適応性としては、20℃からの上下幅は少ない。

 せめて誰かを何者かを、加害者悪者としてとの、温暖化。
 地球環境保護とかSDGsとか。
 はたまた排出ガス規制とかなんとか。

 しかしながら、それにしても暑ぅござんす。
 あの世の釜茹で火の山などとてもとても。



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減考揺思 #127 (2025/08/10)

 何をどう処理しているか分からない。

 コンピュータという機械は、アルゴリズムと称される人が意図し考案する一連の手順を機械言葉プログラムに翻訳して、動作する。

 いかなる超秒速マシンもマイクロな組み込み型の、電気釜から冷蔵庫やスマホも同じ。
 プログラム無ければただの「なんとか」。

 コンピュータ誕生以来、どこかの誰かがひとつひとつ編み出し更に修正改良を積み重ねてきた今がコンピュータ中心デジタル社会。

 神のごとく崇められる賢い電脳も、その処理手順は、間違い勘違い思い違いの巣窟、人間脳の落とし子、プログラム(アプリ)で動く。

 さてコンピュータが速く賢く動くほどに、与えてみたくなるのがデータいわゆる情報。
 幸いに今世界は隅々まで繋がるネット時代。
 文字も映像も会話まで情報に、限りなく。

 あまりに多きデータ総てなど捕まえようもないと思いきや……と、ここまでは技術的な話。

 人は可能で好都合だと知れば必ず入手する。
 そして政治・経済・武略・娯楽にと骨まで利用、しゃぶり尽くす。

 国境を越え瞬時に行き渡り大量に蓄積・共有されるネット情報。
 玉石混交、無保証、味噌もクソも、闇雲に、安価人手入力までして電脳に取り込み。

 人の問いに瞬速、膨大な情報を漁り練り、得る出力をAIと称するプログラム。
 何をどう処理しているかは、分からない。




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減考揺思 #128 (2025/08/20)

 緊張しての会話は肝心なことを聴き洩らしたりする。
 逆に望むときの好みの音楽や映画となればとても記憶に残る。

 気分爽やかなときの感受性とは異なり、ご立派なセンセイの講義論評など、緊張脳で拝聴の後は見事忘却の彼方。

 記憶にとどめようなどせずとも、興味あり関心をもつコトは、わが老脳も大いに楽しみしっかりメモリー。脳の活性度は段違い。

 日頃、煩わしい事々を、老化ぶってスキップしている私に、家人もそんなとき大いに驚く。
 また忘れたの、どこで聞いているやら、とアザ笑うのが、そのてのコトだけはしっかり覚えて、教えるほどだと不思議がる。

 もっともこれは老化にあらず。
 幼子期の素直な好奇心とおなじかも。

 いずれにせよ、どの世代でも、関心をもち興味惹く対象事物があるのは幸いなり。
 こればかりはゼニ・カネでは買えないし、ティファニーでも売っていない。

 朝起きるとさて今日は何をするか、などと愚痴る人がある。
 これが私にはない。朝の心配は本日の天気。

 それだけにいささか疲れる。
 食事以外は家人と顔を合わせず、ふと気づくとほぼ午後四時をまわる。
 これら「しょうもないコト」のほとんどが現役時代からの趣味。リタイア後事始めはない。

 そこで苦手なのが、断捨離。
 自室に物が溢れている。



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減考揺思 #129 (2025/08/30)

 自分の人生はなぜこんなふうに終わるのか。
 という思いで逝ったろう百万単位の魂。

 それら尊くもあまりに虚しい犠牲霊を、今慰める言葉もない。

 国指導者らは無謀蒙昧な決を神がかりふうに奉り煽り駆り立て、国のためと植民統治圏拡大進軍派兵。

 軍隊ばかりか民人まで募って周辺国へ。
 我が物顔で押し入り、無自覚加害の数々。
 結果、逃げ惑い命からがらの引き揚げ。

 身の程知らずな奇襲開戦は、敗残餓死と空爆焦土の極み。
 対戦応戦での人命国土破壊被害は、滅多打ちの焼け野原。

 今、加害・被害の両面は分けて考えねば真の先進国の名折れ。

 80年前であろうと100年経とうと、先人たちの行いとはいえ、歴史的事実に背を向け、て被害だけを、ともいかないわけで。
 下手な蓋などしないで無かったこととせず。

 数多犠牲者皆の悲涙の遺言、貴重な過ち回避の道しるべとして教え、後世への教訓戒めに。

 そんなことなど百も承知の賢明なる人類が、現代今に至ってなお命と創造物破壊合戦を続けて止まないとは……。
 この先いったいどんな学問を修めるべきなのだろうか。

 過去現在の切なくも虚しい人生の喪失を悼みたい、八月末日。



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減考揺思 #130 (2025/09/10)

 人手不足といわれる。
 だから依頼されても応じきれないと。

 また請け負うとも、取り掛かるまで完了までがべらぼうに長い。
 建築業はもちろん産業多分野で労働者が足りないよう。
 材料納期不定、輸送手段なし。海外からは届かずも、辿れば”人手”。
 
 不足の労働力といっても多岐にわたろう。
 職能も技能工から生産工場管理、設備設計、営業、配送輸送ほか実験研究、科学者などと。

 今、先進国の多くでエンジニア、技能労働力が減っているという。いわゆるキーマンが。
 海外生産移転の効率化、中堅幹部の定年、モダンで高給なソフト系に集中。
 機械や油、騒音や汗かきを嫌うか。
 
 身近な例でもリフォーム大工左官がいない。
 積み木型新築はできても釘打ちカンナかけなどは苦手。いや出来ない。
 身につけるチャンスも場も指導者もないと。

 近年そうした地味でも高度必須な技術がそちこちで廃れつつある。消えたらオシマイ。
 継承に時間を要する技消滅は国の危機。

 戦後立ち上げ高度成長期を支えた自慢の腕。
 感と経験から工夫改善を積み重ね、ごく当たり前に教育指導伝承された宝の技。

 文化的生活を維持発展させた大小隅々の技。
 それらが途絶えつつあるとなれば。

 あの国で実は今あれが造れない、これが手に入らない、のまさかの驚きも聞かれる。



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減考揺思 #131 (2025/09/20)

 世界幸福度ランキング、55位。
 国連調査、この島国住民の満足度。

 たしかGDP経済値はトップ数番内だが。

 金持ちは幸せか豊か、の見地に立てば。
 人はパンのみで生きるにあらず。

 人が生きること、そのあり様は、衣食住物質的に足りればOKではないということ。

 人として精神的な満足感を求める。
 望むことやりたいこと、自分の意志を自由に追求できるか。
 そうした社会的仕組みがあり自由選択の保証があるか。

 当調査の回答は、個々人自身の現実立場からではなく、社会一般への目線からか。

 今世界紛争地域の報道に、家族や民族の安全確保不可能な状況を視る。
 それらを最下位とすれば、はるかに個人生き方の自由は保証されているが。

 そんなこの国の首相選。
 さてそこでどんな未来を唱え合うか。
 持論展開をいかなる争点とし支持獲得を図るものか。

 パンとサーカス、とは古代の権力維持のためのことば。
 市民には食と娯楽さえ与え満たせていれば、不満は沸かぬと。

 今政治を司る者は、民満足の策をいかに練り弁ずるのだろう。
 交代時に民が下す厳密な実現度評価は無い。



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減考揺思 #132 (2025/09/30)

 落ち着いてよくよく考えてみれば。
 片田舎のこんな老脳でも思ってしまう昨今。
 私でなくとも世の中の動きには思うだろう。

 政治家様から店屋の主人から農林畜産漁業家までが。
 世はデジタル時代だと。
 超高速、ナノ秒ピコ秒の差、先手必勝にコンピュータを情報機器をと。
 
 思えば、過去の事務仕事のOA(オフィス・オートメーション)から始まって、工場の自動をFA(ファクトリー・オートメーション)で。
 考えて造って運んでをCIM(コンピュータ・インテグレーテッド・マニュファクチャリング)と。
 ネットワーク時代はIT(インフォーメーション・テクノロジー)、DX(デジタル・トランスフォーメーション)でと、相変わらずカタカナ技術活用流行語のブーム。この先はAIと。

 流行とはブーム、経済世界にビジネス柱は要るものだが。とにかく今はコレだ遅れるぞ。
 知らねば、持たねば、使わねば。

 着いて行けない、残れない。
 考える余地なし、と。

 一般市民老若男女もケータイ会話やメールで、買い物カードで、自動預貯金ATMで。
 意識せずともその一翼を立派に担ってる。

 人の生み出すテクノロジーは常に諸刃の刃。
 悪用とその対策はイタチごっこ、盾と矛。

 そんな犠牲にはなりたくはないものだが。
 触らぬ神に祟りなしで居られるだろうか。



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減考揺思 #133 (2025/10/10)

 欧米白人の評価は崇拝する。

 それ相応の価値はあろうけれど。
 アジア系諸国からの評価ならどうか。

 それ以前に自からの評価はできていたか。
 何にでも順番序列しては自慢と競争する世ではあるけれど。
 明治時代以来の西高東低の価値基準。

 西洋を高く見て、自国を含む東のアジアを低く見る自信の無さ。
 それがいまだ拭いきれていない気がする。

 文明開化依頼、見習い学んだとくに文化芸術的価値観を自ら評価する基準はまだ薄弱。
 師に褒められる思いか、彼らが良いといえば得意。
 報道しては諸手を上げ皆喜びに沸く。

 他国に学ぶというなら、遣唐使や遣隋使のころから命をかけ荒波を航る、はるかなる学びの地はあった。
 かの地には師と仰ぐ人物も思考や文献も多々あったろうこと。
 それらに触れれば敬拝の思いも湧こうし、自国に広めたいとも。
 実際、後世なる今に遺る影響も。

 一日にしてならずのローマも学んだとされる民主主義、ギリシャが発祥とされる時代から、二千年余。

 欧米といえど、いまだ紆余曲折学びを繰り返している。
 軍政帝国の世からわずか80年のこの国は今……。



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減考揺思 #134 (2025/10/20)

 気の毒だ悲惨だと皆が言う。
 でも助けようと行動はしない。

 目を覆いたくなるほど痛々しい国際紛争犠牲者へ。
 今人々の多くが他国隣国が、では助けようと手を伸べようとまでは、しない。

 有史以来他者の災難やその被害に対する思いとはそうしたものか。

 誰しも命ある者皆同じく、我が身第一、自己保全、己の生活家族優先。
 命あっての物種。
 触らぬ神に祟りなし。
 君子危うきに近寄らず。

 人皆が一個人は無力非力であるから、世界平和は組織で守ろうと、国際連合を。
 加盟国皆がそう祈っていながらも、完全平和へは導けず、続かない。
 いつもどこかで……。

 紛争原因その火種、双方の敵意言い分を、相対し面と向かっては交わし難い。
 せいぜい仲裁者が電話や行ったり来たり。

 過去のアメリカとベトナムとの戦争。
 その戦終結後、両関係者らが初めて出会って握手し話してみれば。
 互いのあのときはその件はそうなのか、認識違いだった、と。

 思えば我ら小市民、些細な小競り合いでも、間を置き頭を冷やしてみれば。
 起きてしまったコトの重大さと、互いの不満を天秤にかけてみれば……。






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