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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   『秘花(瀬戸内寂聴)』を読む
                  2022年06月05日


 先ごろ100歳を目前に亡くなった話題多く生きた女流作家、晩年の作品。

 室町時代の”能”の名人世阿弥の、芸一筋の生涯。そこには親子家族をも含む生き様生き方が綴られる。

 能という芸のことにはテレビ放映で観るほか無知なので、その道の何たるかは読みつつ知った。猿楽、田楽などなど。

 人目の鑑賞に耐える芸として極めるには、幼い頃より花備わる者が有利であったか。それは今どきの芸能界も、か。
 それを徹底して鍛え養ってこそ、歴史に名を遺しうるのだろう。

 加えて、世を社会の頂点に位置した人物の目に止まり、好意にあずかり庇護重用されれば、鬼に金棒。
 今で言うならメディアを賑わし、支援資金も豊富ということにもなろうか。

 またその時代のリアルな裏をも描けるこの作家なればこそ、当時の権力中枢界隈での”男色”風流に、主人公が十代初期から関わらざるを得なかった次第もあからさまに。
 そうした諸事に巻かれるのも、芸に厳しい父の言によれば芸の肥やしと受け入れる。小説の前半だ。

 権力に媚びを売ってでも子の才能を認めてもらい箔をつける、というてんではモーツァルトの父などもそうであったかに。
 あちらが子の演奏作曲の才の名声にあったとすれば、こちら父観阿弥の思いは、能という芸と一座の名声。当時ライバル集団も少なからずあったようだ。

 幸いにして父から子世阿弥への引き継ぎは順風満帆。時代の華となる、寵児。波に乗るを”男波”と父は例えた。

 とはいえ人の世は時が進めばご贔屓恩寵の主も移り去る。その深さ重さに比例して、冷める温度もその早さも、背負う座頭には厳しく。
 攻めの”男波”のときから、守りのときを”女波”と例えた父も亡く。

 権勢を欲しいままにしたご贔屓から押しいただいた妻と子が授からず悩み。
 もらい育てた子の芸才に微笑んだのもつかの間。次々に授かったは、息子たち。
 そのの才能にさすがの名人の目も曇る”親ばか”なる眼力。

 才能ある育ての子は別一座を立ち上げ、めきめきと頭角をあらわすに及べばなお。
 このまま主人公は下降、不運は島流し佐渡ヶ島へ落ちる。

 高齢の主人公世阿弥の独白と、作者瀬戸内寂聴とが渾然一体としての人生こもごもを、こちら高齢者は「そうか、そうなのか」と読み終えたのでありました。

 題名の”『秘花』”は、世阿弥が晩年、能の芸を集大成した書「風姿花伝」の「秘すれば花なり。秘せずは花ならず」という一節からのよう。








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