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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   日本映画「ひろしま」
                 2019年08月24日


 1945年8月6日の朝、それは広島の上空でピカっと光った、というあの原爆。

 当時の被害の惨状がまだ残っていた1953年。日教組(日本教職員組合)が、広島の原爆を劇映画にして残していた。

 このことは意外に知られていない。
 
 わたしも、NHK−ETVで『忘れられた“ひろしま”〜8万8千人が演じた“あの日”〜』という映画紹介の番組を観るまで、まったく知らなかった。

 日本映画史上最大の出演数、9万人にものぼる市民までが参加したという真剣さだったのに。
 そして、その映画に出演した多くに、実際の被爆者がいたというのに、だ。

 もちろんれっきとした日本の監督が創った劇映画であり俳優も有名な映画人たちだ。
 そして、世界に公開し、1955年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞したという。

 今ではあの惨状を忘れたのか思い出したくないのか、史上初で唯一の被爆国わが国は、核兵器禁止条約を蹴っている。
 それどころか、クリーンなエネルギーとばかりに同じ核エネルギーによる、発電所を狭いニッポン列島になんと50数基も存在する。

 そして4基が実際に連続爆発を起こしてしまった。これもまた世界最悪。

 そういうわが国の歴史と現状を思うにつけても、この映画「ひろしま」の存在を隠すように仕舞い込まれていたらしいのが、切ない。

 戦中を周辺アジア大陸で侵略し植民地統治までし30か国もの民衆を苦しめてきたわが国は、この原爆、2つの核爆弾の試験場にもなり最悪の被害となったのは、多くの日本人自身も知っている。

 そう思いきや、その日にちだけでさえ、意外に知られていないようなのだ。

 たしかに、戦後戦勝国アメリカ軍による占領統治下で、多くの戦争関連情報を隠蔽制限されたことは確か。

 昨日まで”鬼畜米英”として、真珠湾奇襲攻撃から日本本土空襲、絨毯爆撃で都市という都市が、日本軍の反撃もなく焼け野原にされ。

 そしてこの「ひろしま」「ながさき」で完全大敗の惨敗。

 もちろんこれらは、「被害を受けた」ことであり、「被害を与えた」多くの事もけして少なくないわけだが。
 その事々については、現在もほとんど語られず報道もされずにある。

 だから、苦しかったことのみがクローズアップされ皆が偏って知る。

 とはいえ、この一般市民の生活の場における、史上初で最悪最大の都市攻撃は、あまりに惨い。

 その惨状を忘れないうちに遺し伝えよう、という思いが、当時の日教組にあったのだろう。

 だからこの映画のスクリーンには目を背けたくなるほどの場面が多い。じつに惨い酷い。

 被爆した方々自らがかってでて、現場を語り、実際に撮影に参加したのだから、当然と言えば当然だ。

 遅きに失したとはいえ、日本人はもちろん世界人が観ておくべき映画だと思う。

 話では、ハリウッドもこのフィルムの存在に驚き、関心を示しているという。
 


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