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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 

   人を見たら・・
          2020年12月05日


人を見たら泥棒と思え、というのがあるが。
今世界は、人を見たらバイキン(ウィルス保菌者)と思うしかない。

なんとも味気ない人社会ではないか。

そんな状況の中、身体的なダメージを意識しなくとも、無意識下の”コロナ脳”の人が少なくないように思えるがどうだろう。
コロナ”鬱”というべきか。

”コロナ”の一言一文字に過敏になり、日々の報道に神経質に聞き耳をたててしまい、過反応しているのかもしれない。

とくに市街地に住まわれている方々は、一歩外に出れば、袖触れ合ってしまう”人”ひと、ひと、ひと。
伝染する病原菌を感染するのがこの、”人”となればただ恐怖、というかたもある。

なにせマスクの仕方ひとつがケンカ騒動になりかねない。
いや海外では暴動にまで発展するという。そして逮捕までに。

それほどまでに人同士が拒否し互いの存在その嫌悪感が増してしまったか。

なにせその噂の菌の大きさは髪の毛の、千分の一、とか。
であるなら皮膚の毛穴だって大きなトンネル、目などは大海と同じ。
ふわふわと漂いだしたら、もうどうにも手に負えないではないか。

『実をいえば』とその筋の専門家などが、公の場ではなく密やかにここだけのハナシと小声でいうとすれば・・・・・。
おそらくは、わたしたちが日々抱いているイメージとはいささか異なる敵ウィルスの実態、被害の現実も少なからずあろう。

ド素人のわたしなどでも、マスクやフェースシールドがウィルスという敵を相手に、どれだけの効力を発揮するのか、おそらくは無力と、首をかしげているのが正直なところ。

すし詰め通勤通学のあの朝夕の電車が、まったく”3密”の危機として取り上げられないまま。
かたや、全国民の何パーセントが利用するというのか、観光旅行や飲食店へ。
それよりもあれに、これのほうに、と存続を危ぶむ業種があろう。

テレワークなどというあれもまた、世界の産業構造を考えれば、職場、仕事場を離れてもできる割合などそう多くないことは、簡単に想像できる。

接客や販売、もの造り製造業各種工業、医療はもちろん福祉介護、ほか多くのサービス修理業、そして建築土木、交通運輸。芸術世界だって・・・などなど。

ということは、もはや人類世界は、権力を握る頂点に座す一部位置集団の采配ひとつに、われら小市民の命運がかかっているといえまいか。

そんな中に今生きて、出歩けば”人”にあたり、”人”を見たらバイキンと思わないわけにはゆかない。

かといってそれを止めれば、人類世界はどうにも動かない、生きて行けないということかもしれない。
わずか半年ほどで、そちこちから「このさき立ち行かない」と悲鳴があがるのだ。自殺者数を見てもそれが……。

言い換えれば、世界は命をかけた戦争下にあり、見えない敵が相手。
この世界の誰もが未だこの敵の弱点を知らない。

見えない知らない、ということは勝利への道方策が定まらないから困る。
強大な国のあの自慢のミサイルも、一国を麻痺させるサイバー攻撃も・・・歯が立たない。

そんな中で、商売人は見えないことを良いことにして感染防止などを謳い文句に、奇しいものを売る。

報道業各社は、おのれらが出歩ける範囲の取材で、戦場の酷さ怖さ悲しさをそれらしく編集し報じては恐怖を煽り、弱者の味方ぶり同情心を醸しつつ、正常時にまさる利を得ていいよう。

政治家は恐怖心を利用してこのスキに、あの法案を通しあれを推し進め、これを棚上げにと民衆の見えないよう、気づかないうちに彼ら都合で済まし終えてしまう。

古今東西の歴史の通り、どれもが戦時の常か。

人々を階層図に示せば、下から上に向かってつぼまる三角形のごとく、その全高の半分から下が75%。上部の25パーセントはいつも安全で美味しい。

下方の大多数一般市民は、いつも従わされ振り回され、泣きを見ることになる。

いつもその中で、「今まさか」とそれが非常事態であり緊急事態、戦時下なのを実感するまもなく、その渦中に取り込まれ翻弄される。

10年経った今でも、けして正常に戻れたわけではないフクシマから、あの瞬間にとてつもない汚染物質がこの狭い列島国内から世界へ、飛散拡散させてしまったようだ。

世界に例を見ない原子力発電所の複数連続爆発、というそれを今思う時。

欲目に見ても思っても、とてもとても想像の域を超えてしまってゼロ”0”が何十個ならべたところで、そのゼロを2,3個減らしてロシアやアメリカの例を云々してみたとて・・・。

われら小市民ごときがその真実のどれほどを認知認識できようか。
風に舞い世界をめぐるほどのそのすべては、フクシマにだけ在り、閉じ込められているコトにしてすまし顔して、今は安全……アンダーコントロール!

ことほど佐様に、爆発的な重大なコトというものは、責任、とか、保証や補償などという高所から振りまかれる人コトバ音波など、後には顧みられるはずもなく、過ぎ去れば忘却の彼方、まったく無関心。水俣のあれのごとく……。

しょせんは数十年の先に、『実はあのとき』と、未来のその時においてほとんど関心のない出来事の、懐しい報道に載るのが関の山なのだろう。

せめて今他人製作の報道からではなく、”自分の身の回りの混乱現実”を冷静にしかと、自身の目と耳で記憶しておきたいと思う。



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