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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 



    歌舞伎を観る
           2020年07月05日


『文七元結』と『勧進帳』を歌舞伎版(NHKーETV)で観た。
自宅シアターは大型スクリーンでかぶり付きふうに。

なんと言ってもこの新型コロナ時となれば、どちら様も外出は敬遠、遠慮という状況かと。”不要不急”については「その限りにあらず」と言うけれど・・・。

そうしたなかでわたしメも、やはり老体は大事、御身第一。
無闇無謀は控えひかえ〜!

かといって閉じこもり時間つぶしに、TV電子小窓を無意味に明るくしっぱなしでダラダラ見流しは、御免こうむる。

で、先述の歌舞伎鑑賞とした。

『文七元結』というと、落語物、噺だろうという方は、かなり落語通。
実際この演目は落語が先で、主。

初代の三遊亭圓朝(1839年生)という噺家、つまり落語家が創ったといわれ、演じられたらしい。
なにせこの人は多作家で今に知られる人情噺や怪談ものなど、多くを生んだようだ。

この『文七元結』を歌舞伎『人情噺文七元結』に仕立てられた。

”文七”とは話の登場人物名「ぶんしち」で実在した人らしい。
”元結”は、「もっとい」と読むが「元結/もとゆい」。

洋式ニッポンの今では馴染みがないが、明治以前の日本髪の頃まで、髷(まげ)を結わえるためにあった紙の紐のこと。
それを桜井文七なる人が改良考案したという。

とはいえこの落語と歌舞伎の「文七元結」には、そのあたりの事は語られない。では、どんな話しか・・。

当の文七は若い脇役で、その若者を情にまかせて助けるスッカンヒンで”金欠”の壁塗り職人の男のほうが、主人公。

もし落語でストーリーを知りたい向きには後添付のURLなどへ引き継ぎたい。

さて今回の歌舞伎版は、その昔といってもいいほど旧くなったが、NHK大河ドラマ華やかりしころに「源義経」(1966年/当時尾上菊之助)その人を演じた、現7代目尾上菊五郎が演じてくれていました。
 いよっ! 音羽屋ぁー!

どこか品の良さを感じるあの人が、べらんめいの貧乏長屋住まいのダメおヤジを。でもしっかり根には人情たっぷり筋が一本を見せ、泣き笑いを涌かせるのでありました。

ちなみに、当演目においては、歌舞伎的長口上やお囃子は少なく、理解りやすいのでした。


さて次は、『勧進帳』。
これは”忠臣蔵”と並ぶ歌舞伎十八番か。まず日本人なら知らぬ人はなかろうというほどの出し物。

兄頼朝と不仲となり追われた義経の一行が、山伏姿となって東北は平泉へ逃避行の途中。
北陸は安宅の関に至り、そこを家来の弁慶の機智言動によりどうにか通過する、という話。

これもさらに興味あるかたは後添付のURLなどをクリックされたし。

で、この”勧進帳”というお題名だが、関所を守る「関守富樫左衛門(とがしのさえもん)」という関守が指名手配中の義経一行の通過に油断なく取り調べる中で、義経一行ではなく本物の山伏一行であることを示す秘策に、その証拠として読み上げる巻物のこと。

であれば当然、このイチかバチかの偽の勧進帳という寄付金集めの趣旨をを空で読む演技には迫力があるわけで、こちら弁慶が主役。

現15代片岡仁左衛門が見事に演じていた。松嶋屋ぁ−!
で、富樫は、現10代目松本幸四郎でした。


長文がどんどん伸びそうなのでこのへんにしたいが。
それにしても、観るこちらが老いたせいか、昨今こうした日本古来の文化芸能に、いっそう興味が湧くのが不思議。

けれど、体内の血流をおもえばきわめて自然なことなのかもしれない・・・。



関連文ご紹介:文七元結 / 義経・弁慶・勧進帳

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