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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


    小説 『背高泡立草』                     2020年06月19日

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 読後想、といってみたのは読んでからかなり時間が経ってしまったから。
 記憶は老脳でもあり、あいまい。

 なにせこの”コロナ”災厄世界史、その渦中ニッポン。
 世界史として遺るほどの流行り病の中。

 今、リアルに、自分が存在し、現に生きている。
 この意味は大きい。小説家などには宝の山かも。
 そう思わないでか。

 フツウ人誰しもがそう思うだろうし、そう思わないでいられまい。

 だってわたしたちは、”核”や”ミサイル”などの覇権国ご自慢の、あの絶大強大なる兵機設備の類が、小瓶ひとつに詰めた一滴の”菌”、に勝てないという事実を、目の当たりにしたのだから。

 コロナ後の世界は、変わらざるをえまいテ。

 そういえばわたしなどは、近年の311、この国史上最大級の自然災害もまた、生身でいるこの世において、渦中で味わってしまった。
 あの地獄の大揺れが、地唸り襲ってきたのだった。

 そして昨今の天候。
 大風と大雨による大洪水を生み出して、人間などをふくむ小中生物をゴミ芥のごとく飲み込んでしまう。

 そういう、後の世で「昔じいちゃんばあちゃんたちの時代にそういうことがあった」と語られるであろう事々が、今、リアルで体験しているあなたもわたしも・・・。

 というふうな、いわゆる前の世代、自分の遠縁もふくむ家系の人々を偲ぶ、というか小説文で語り描かれる作品がこれである。

 それが、第162回 芥川賞受賞(古川真人)の 『背高泡立草』。

 内容は読んでのお楽しみであるが、あくまでも現代の純文学作品であることは申し添えたい。

 ま、それにしても、わたしたちは、父母の生きた時代その社会風景、人々の様子など、どれほど知っているだろうか。

 ましてや、その両親祖父母、曽祖父母・・とたどると、ご諸兄がたもほとんど言葉を発せないのでは、と察するのであります。

 この小説でもそこはほぼおなじ。
 ある日ある時、親類縁者どうし数人が、小島の独居祖母の家の庭の、雑草苅りに手弁当で集まる。 それは彼らの例年の行事。

 不慣れで進まずはかどらない若者らの草刈り作業の合間あいまに、自分たちの体内に流れる血、その元である祖母や家族や先代、先々代がこの島この家にたどりつくまでの経緯、生きざまと時代が小説として語られる。

 題名の『背高泡立草』 は裏庭にうっそうと生え育った雑草のこと。

 しかしまた、そうした雑草のしぶとさを思えば、この地上にしぶとく生き続けている生物としてのわたしたち人類をも意味している、というと深読みだろうか。



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