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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   値ごろ感
          2021年11月20日


 店々に出回っている商品価格へは、人それぞれ各自の生活実感から値段の評価は異なるもの。

 自分的には、この商品価格の値段は高い、あるいは安いと思う。そのことが値ごろ感。

 いつもポケットに財布に、溢れるほどの持ち合わせのある人はともかく。
 大概の庶民生活の向きには、それぞれに値ごろ感をもって商品値札に向き合うのではなかろうか。

 たとえばわたしなら、手に収まってもう何年経つかの、携帯電話。
 月千円ほどの経費なら、イイ塩梅の値ごろ。
 とても数千円から万円にとどくなど願い下げ。現生活でそれほど入用ではないのだから。過剰な便利の押し売りお断り。

 とはいえ、こと音楽鑑賞となると・・・バカを云いなさい、の値段でもその”音”には太っ腹になって、家人を呆れさせるから困る。
 つまり目にも見えず触れられない音に見合う値ごろ・・・だと真顔で納得してしまう。

 かようにモノのお値段というものは、人により高い安いの評価は分かれる。

 ではそのお値段はどう決定されるのか。
 わたしはその筋の知識を持ち合わせていないけれど、さしあたりはその商品を構成する資材部材に人手手間賃などが合算され、利益分を上乗せて。

 となれば、一枚の絵、数分の音楽楽曲、舞台芸術の演劇、あるいは1冊の本など芸術作品の場合は。

 先ごろ話題を、”切断”したあの絵、その高額さなどはどうだろう。
 先の材料や人手合算の経費では測れないのはいうまでもない。

 そこで、表題の”値ごろ感”。
 まさに芸術こそは、値ごろ感以外では評価しえないのでは・・・。

 もちろんそれは人それぞれの尺度をもって判断するわけだが。
 そうした人それぞれの値ごろ感は、いかなるふうに各自の脳内に形成されるのだろうか。

 過去には人身の売買、その歴史もあったわけだが。
 奴隷制度が社会に生活に根づいていたそうした国においては、日々行われていた奴隷市場の壇上に、老若男女の商品が引き出され。

 たった今朝に家族から引き離されて来た人間が、前後方から商品として眺められ役立ち度の厳しい視線と、野次飛び交うなか値段交渉。

 やがてある価格に落ち着き取引成立、新たな飼い主の家へ連れて行かれたという。

 その時代その国においてはそれがごく普通の社会風景だったわけで、それにより人々の生活が成り立っていたのだろう。いわば常識。
 
 そうした常識に”異”を感じたところで、それを声に出すなどこそ非常識。
 まして異を行動にしたなら・・・。

 とはいえ、そうした異なる思いを抱きコトを起こした”偉人”が、この世界には、極稀に現れるもののようで。

 この男リンカーンいがいにも、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコム・リトル、マンデラ、マザー・テレサ、キム・デジュンなどなど他にも。

 いわば”己の儲け”にもならぬコトに一生を捧げる人。人はそれを偉人と称える。

 まさに価値観、人生の”値ごろ感”をわれら庶民とは大きく高く異る人なのだろう。






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