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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 


   年頭の意思
            2021年02月03日


早2月となった新しい今年。
寒い月で散歩の通りも北風が小雪を吹き通る。

コロナの今年初めには意気揚々と早足で行き過ぎる散歩人たちをけっこう見かけたが。
わたしの散歩コースにも、林道の入り口あたりまでは行き交う人も多くそのたびにマスクをかけたものだが。

それが2月の声をきくころになると、やはりというか例年にしたがって少なくなった。今ではその数激減。

年頭の「今年こそは」の誓い、その意思も”なんとやら”、だろうか。

なにも身体を鍛えるのに散歩だけが適当だというわけでもなく。
今どきの”出控え”の時期には、人それぞれ好みに応じて、自分に相った室内の運動を無理なく行えばよいとは思う。

スポーツマンが健康で長生きできるかといえば、必ずしもそうとは思えないし、健康を保つといえば、心身、のつまりは心と身体ともにリフレッシュすべきことはいうまでもなしだろう。

やたらめったら歩き回っても、その後寝転びげらげらぱちぱち番組で薄ら笑いつつたっぷり飲み食いでもしたヒにゃ、まず元も子もなかろう。

そういう意味では、やはり家事に身体もアタマも暇なし動かしている女性にはかなわないと思う。

わたしは”すってんころりん”を期に、散歩にストック(杖)を両手にしてから、3割ほど距離が伸びてしまった。
やは”り転んだ先の杖”は、疲れず楽なのだ。
ワタシ的には、林道散歩というより、もはやトレッキングだ。

元々わたしの散歩はカメラをお供にしているので速歩ではまったくない。
右見て左見て上見て下見て遠くも見る。何かよい被写体はなかろうかというのんびり歩き。
下手すりゃ進まず戻りさえするのだから。

とはいえ、今の季節は枯れ野原た森林のなか。
せいぜいが雪の景色や晴れれば青空。

しぜんと歩き速度はあがる。少なくとも春や秋の花や紅葉が目を惹く時期とは異なる物寂しさがある。
で、その分の時間を遠回りの経路となった。

林を越えてしまったその先の、見晴らしの良い山頂に出た。
周囲は遠く、山並が見える。
それは旅客機の窓から見下ろすニッポン列島そのものだ。

この島国はほとんどが山深い。都会などどこにあるのだと思うほどに。
そうした山々の合間に集落や小都市が見えたものだ。

それらをつなぐ道路が山林に隠れながらくねっていたりするのは、東西南北どこの空旅でもおなじだった。

ふと思い浮かぶのは、「なんにも無ぇ」というあの歌。
ラジオもテレビも無いとまでは言わないとしても、ディスコも映画館も無いとは言えるかもしれない。
せいぜい駅前や全国共通のコンビニやチェーン量販店などが繁華街か。
必須アイテムのごときマスクはそうした所でも買い物時でしかない。

だがしかし、今。
コロナも無ぇ、というとなれば、だが・・・。

さてさて、”トウキョウ”という都会を、「おら行くぞ」と、羨んでは先を争って向かうべき所かどうかといえば・・・。

見下ろす先を走り過ぎる新幹線も、どこか寂しそうな感じがするのは気のせいか。

おらコロナ街なんてイヤだぁ。異種ウィルス五輪なんて怖ぇ〜。
コロナも無ぇ〜♪ 田舎さ帰るだ〜。

などと”GOTO”のテーマ曲ふうの替え歌を口ずさみながら、長い散歩道を戻りはじめたのでした。


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