・・・・
夢舟亭
・・・・

夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 

   『8050(林 真理子)』を読む
                 2022年 6月 20日


『8050』とは80才の親が50才の子と同居すること。
 子が親を介護する生活。生活費は親の年金か、はたまた生活保護か。
 今、8010も。

 この作家の作品を読んだ記憶がない私は、今話題の「大学の理事長就任」の件と重ねながら手にし、読んだのでした。

 内容の詳細は別に置いて、教育問題それも”いじめ”問題が主題。
 肝心の”8050”は、副題の感じだ。

 子育てをはるか昔に終えてしまった者としては、躾や親の責任の問題の感を捨てきれない”いじめ”だが。
 現代、報道に見るいじめは人命を脅かすほどで、”寸止め”がなく「喧嘩」の域を超えて陰湿残忍のもあるようだ。
 こうしたことへ法的な対応が叫ばれているのも無理はない。

 昔の子供にも喧嘩や虐めはあった。
 なかには、ナイフで刺されて負傷や死に至ったこともあった。
 それがどう扱われたのか報じられたか。報じる側の興味関心外だったのかほとんど記憶にない。

 そうして今思えば、”報じられ方”次第で、話題拡大に繋がり、ある種の「主張行動」を煽るような気もする。
 報じられなかったら、知らず真似ず盛り上がらず。

 また、「いじめは面白い」との加害の声もあるが、興味が湧く面白いコトなどいっぱいありそうな現代社会にも、生き慣れてしまうと退屈になるのか。

 身近な”生き物”の、与え方によって変化する苦痛や悲しさが、面白いと感じるのか。
 たしかに画一的な動きや映像や音の小画面のゲームなどには無い、生身生命ゆえに表す個別特有な予想を超えた変化を示す。
 もちろんこうした見方考え方は、電子ゲームの延長線上の考え方。

 もう一方の側からの、仲間、友だち、ほかの人と、自分という人の立場というか関係性。
 それをどう思い考え行動すべきかが、育まれ躾けられ備わっているか。

 人間なれば喜怒哀楽の感情が湧くのが自然。
 そこでの限度、その程度、振幅の度合い。

 ここでも報道というかメディアを賑わす架空のフィクションのドラマや漫画の類が、少なからず影響する気がする。
 その影響度合いは、先述の「育まれ躾けられ備わっているか」の土壌の程、その差によるのだろう。教えなければ分からない身につかない、野生の如きものか。

 となれば、親や家族の貴賎の別や成績の高低とは必ずしも反比例しないわけで。
 差別意識が関係するとの声もあるなら比例して、尊大に振る舞う結果かもしれない。

 いづれにせよ今どき人同士の”いじめ”は、受ける側はもちろん加える側も、幼かったからと言って済まし得ず。
  加えられた心身の傷は永く治癒されず尾をひき、加えた法的罪や罰則は軽いものではない時代にある、という。

 人とは生命とはを、年端もゆかないうちに脳髄に刻みつけておかないと、やがてはハラスメントの法にも触れ、せっかく築いた人生を家族ともども棒に振る、ことにもなるのではあるまいか。




・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・
[ページ先頭へ]    夢舟亭HOME    「創文館」    「随想」目次