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夢舟亭
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夢舟亭 創文館(随想・エッセイ)
 
   『母の待つ里(浅田次郎)』を読む
                 2022年 6月 20日


 都会育ち、は故郷がない、のか。
 高層建屋の窓からビル群林を見て育ったら、その地はふる里とは呼べないのか呼ばないのか。

 いつも「うまいねぇ」物語を生み出し、読む者をまた映像化する者に期待を持たせる作家は、そうは考えていないのかな。

 そこで戦後復興、高度成長期に”がんばってきた”都会育ちの、今リタイヤ世代に、第二のふる里と、心の母を。そう思いたったようなのだ。

 それが当作品ということ。
 内容は読んでのお楽しみではある。

 私など地方生まれの田園田舎育ちの者は、たしかに都会への御上り出張時の混雑や乗り合い車窓からのビル群には、軽いめまいは覚える。ここで生活は出来ないなぁと。

 とはいえこれまで永く目にしてきた多くの報道映像には、これこそがこのお国の今姿だと、平然と当然と世界に向けて胸をはっていたよう。

 実は、ほとんどが今でも、山野川谷に埋まった長ぁ〜い島国であることは、空窓から眺めれば分かること。
 そうした起伏の中に、人家が散らばり細くうねった道があり、時折見うける密集した建物群につながっていたりしている。

 この作品では北は東北の奥、岩手県のとある町に「里」を設定してある。
 新幹線や高速道が「中央から」繋がっているとはいえ、一時間に一本の乗り合いバスなど通りようもない「村」というべき僻地であり、過疎村落のはず。

 そうした風景情景に人情を加えて創造設定しなければ、この国に「心のふる里」は成り立たない。というならちょっと寂しい、花いちもんめ。
 ニッポン昭和時代への郷愁。それが今どき都会人高齢化世代の、心の隙間風か、と。

 この国に必要なのは、人生モデル。

 ごく普通人のさり気なく自然な、けれど今のこの国人から見れば素晴らしい生き方、その見本、そうした姿。
 生まれる以前の男女のあり方から、生まれ育つ社会の人間らしい生活環境と時間。人との程よく長い関係。
 経る世代ごとの、喜びや楽しみを持ち感じうるための、教えと生活習慣。

 そういったものは「上り坂の汗道」を歩む無私な心意気では思いも至らない話。
 これから先は列島人も「平地」の歩み方を身につけるべきと、この小説を読んで強く感じたのでした。
 良き人生静謐な黄昏を迎えるためにも。






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