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夢舟亭
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夢舟亭 メインページ 《幻考様思》
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   #10  5/28(2022)

 林道散歩において、季節により遠慮願いたい生き物に遭遇することがある。

 蝶や羽虫など昆虫類ならともかく、細長身で藪からくねり現れるあれなどはやはり構えてしまう。

 親の因果が子に報い、という故事があるが、彼らだって好き好んで授かった身体姿形ではなかろうけれど。
 いや、何を仕出かすか分からないヒト科の生物との出会こそ、あちらが御免被りたい恐怖かもしれない。

 この地方にはヤマカカシ、シマヘビ、アオダイショウ、そしてマムシが生息しているようだ。

 幼いころからよく目にしたのがヤマカカシ。この地域ではカマガジなどと呼び一番目にした小型。
 ついでシマヘビ、似た体型の色違いがアオダイショウ。これらは体がかなり太く長い。

 そしてマムシ。これは周知のごとく毒牙をもつが、1メートルにも満たない。
 わたしは近年散歩を楽しむようになるまで、生きた姿は目にしていなかった。手作りマムシ酒瓶にねじれた死体を見せられことはあったが。

 ところで毒牙だが、この地域ではポピュラーなヤマカカシ。毒をもたないとされてきたが、実はかなりの毒をもつことが、ある被害から分かったようなのだ。
 マムシに勝る毒を出すが、奥牙からなので被害はごく稀という。

 動物園などでは、怖いけど見たい爬虫類の人気は高く、ペット愛好まであると。
 けれど自然において、春から晩秋まで出会ことのある彼らとは、正直なところ距離をおきたい。





          −*−




#9  5/21(2022)

 マイ散歩コースに今年も咲いたニッコウキスゲ。

 日光黄菅、と書き、別には”夕菅”とも。夕方花びらを閉じるから。
 花の名を憶えたがらないない私は、黄色で”ニッコーキツネ”としていた。

 ま、花に限らず、誰が付けるか物の名というものは、けっこういい加減に思える。
 ナマケモノなどその例で、口をきいたらなんと言うか。

 で、このキスゲ、日光の高原などに多く見られ、また尾瀬が、また裏磐梯の雄国沼にも群生。
 本州中央、関東地域に多いかと思っていたら、出向いた折、日本海の離島にも北海道にも多く見た。
 花びらの形が違うか、あちらではカンゾウ萱草。

 ここでふと思うが、菅(カン)、そして菅(スガ)となれば、近年わが国の首相名。

 ま、それはともかく、梅桜や野の花が咲き終えて、一息ついて周囲を眺むれば、地域全体が緑を増して季節は替わり目。

 キスゲのように茎が長い背高な花とともにアヤメなどに出番が替る。
 梅雨明け初夏にはヤマユリも控えている。

 晩秋の一時期を除いて、たかだか小一時間ほどの山野林道は、花役者の自然ステージ。
 ここでは遠くも近くも書割(かきわり)なしの本物、生もの自然。

 大小花たちが四季、入れ替わり立ち代わり現れては美を競う。
 被写体にこと欠かかないカメラライフ。
 これまさに幸いなり。 





          −*−




 #8  5/12(2022)


 バラが好きということもあり、数年前二種つるバラの小苗を求め、不似合いなほど大きいバラ棚をトンネル状に設置し左右から植えた。

 それが昨年初夏に、晴れた空を背景に、ピンクと黄色どちらも淡い色で見事なほどに咲いた。
 通りすがりの散歩人などが褒め見とれていた。

 その後花の盛りを過ぎたころには、いっそう枝葉が増えてあふれ。
 素人なりに、枝を切り落として整理。

 さて不要とはいえ、精一杯育ち咲いてくれたそれらは、地に落し捨て去るに忍びなく。
 ほとんどを庭のそちこちに挿し木植えしたのだった。

 だがいつの間にかつい忘れ、水も与えず乾ききった地でほとんどが枯れ絶えてしまった。

 しかしよほど生気が強かったか運かあったか、枯れたかに見えた一本が、この春に葉を緑に生やし蕾までつけていた。

 切り落とした細枝が地に刺されただけで、よくもこうして息づいたものだ。
 植物とはいえ、生命の神秘不思議に感じ入っている。

 気づいて以後は、そうかそうかと幼子の頭をなでるように、毎朝水やりを欠かさないでいる。

 よくも生き抜いたなぁ。
 さてさて、おまえは何色のほうだろうね。





          −*−




#7  5/4(2022)

 雨降りに散歩する。

 野道の植物たちは晴天より元気がある。
 雨をあびるたびに彼らは伸びるよう。
 伸びるぶん咲き散るのもまた早まるか。

 散歩道の樹間は繁茂した新緑のトンネル。
 そこへ淡い紫模様、藤の花が染めてきた。

 高いつるの幹から枝葉を生やし花房を幾重にも垂れて咲く藤の花。
 二、三日前には無かったのが目をひく。

 紫の花姿は実ったぶどう房のような、上が広い逆三角形で下に向かって小さく少ない。

 藤は、幹本体をほかの高い木に絡ませながら長く太く伸びる、つる植物。
 ぐるぐる絡まりつかれる樹木は迷惑千万。

 その伸びる様は挑みかかるほどの勢い。
 そう感じるほどにも太くなり、絡み締めあげ、大蛇のように伸びゆく。

 絡まりつかれた樹木のほうは、樹体を凹ませ変形し、萎えてしまうのもある。

 獰猛さに見合わず、少ない小枝に新緑を茂らせ、紫の花房たちを咲かす藤の木。
 絡まりつかれた樹木の花に見せる。

 その花たちは、他樹の存在に頼る生き方に似合わず、新緑に映える。

 藤の花の笠を両手に舞う歌舞伎の艶やかな”藤娘”のステージがある。

 先人たちの感性は、自然の営みに囲まれ愛でて得られた豊さか。





          −*−




   #6  4/25(2022)

 この季節の野草にイカリソウがある。

 マイ散歩林道に咲くピンクの小花だが、列島各地に咲くのかはわからない。

 背が低く茎や葉も小さめなので、笹やぶや下草に隠れてしまう。
 それでもごく細い茎を精一杯のばして花房をつける。

 これを初めて見とめたのは十年ほど前。田舎の生まれ育ちだが存在さえ知らなかった。

 花に蜂や喋が寄るのはなぜかなど”頭”で知るも、光や影として眼に映っていても、その実像を心に納めないことは多い。

 家計生計維持の労働真っ最中の”忙しの頃”現役時は自然の四季移ろいなど気にもとめず。

 それが、足もとにかがんで一輪の野の花に見惚れる今。とうに六十路をこえて。
”知る”ということは”感じ入ってはじめて得心し腑に落ちる、か。

 そういえば、イカリソウの名。
 このどこが”怒る花”か? と。 

 イカリは、”怒り”でなく”錨”。あとでそう知った。

 下向きの花房が四方に角をひろげる、その様はなるほど錨に似ている。

 たしか「腕に錨の刺青つけて」と歌う曲をむかし聞いたことがある。





          −*−




   #5  4/13(2022)



 桜の開花とどうじに暑さも増した。
 急激な上昇。いささか過剰で30℃ほども。

 観測以来の異常の報もあり、「温暖化派」得心の候か。

 桜前線が遅かった分慌てたか、一層開花に彈みがついた。

 桜木もこの星の植生物であれば、高温に敏感に反応。早咲きは花びらを風に踊らせている。

 汗を拭い雲ひとつない空を仰ぐ、桜撮り。
 車内冷気を”強”で浴びつつ、近辺周知の花どころへ馳せる。

 車窓に見覚えの山村風景が流れるも、無人家屋、空き家廃屋が増していて嘆息。
 古農家だけでなく一般住居も、校舎も。

 先年の連続原発爆発事故による避難地域外の山岸にも、雑木枯れ草の伸び放題に埋もれて、荒廃の寂れが。

 人口減か住む人が絶えた家ということか。
 今どき街中にも散見されはするが、”売り家”表示などなく荒れるに任せている。

 傾いた軒、色褪せ崩れた屋根などが見え、裏手の竹やぶの緑に桜のピンクが眩しい。

 過去に子供らの笑い声が響いた日々を、木々は憶えていることだろう。
 そうした頃から数えて何度目の春か。

 人影は消えても、春が来れば桜。





          −*−




   #4     4/9(2022)

 いよいよ桜がわが街にもやって来た。

 この地域は先の地域合併により南北に長広くなり、開花に差があって出向くタイミングが難しい。

 それでも大概の咲き順というのは判っているつもり。
 毎年あの寺の古銘木が一番。次はあそこ、と。

 とはいえ広く巡り見れば、地域開発が進んだりして、近年人目につきもてはやされる新参の桜木も加わったり。
 またその陰には、往年名を馳せた桜木が朽ちてしまったりも。

 その点では命あるものどうしの人世とおなじかもしれない。

 桜も植物であってみれば、種の違いによって開花時期の後先はあるが、やはり気候の差、寒暖の影響が大きいようだ。

 今年は遅れているというので昨年の一番桜の記録を見たが、3月中に咲いていた。一週間以上遅れたことになる。

 桜撮り人らが出歩きの先々で、あの一本桜は、むこうの山桜は、あの川辺の桜並木はと交わす情報に一喜一憂。
 手元で情報化の今、県外からのナンバーも少なくない。

 東西南北、そういうふうにも楽しめるわが県の桜時は一ヶ月ほどと長い。





          −*−




    #3   4/1(2022



 エイプリルフール。たしか”四月馬鹿”ともいわれたか。

 嘘、を言い合うというのでは、ある地域で”大法螺ふき”の楽しい風習などもあったやに。

 また作り話。創作する世界というのもある意味、嘘を楽しむことか。

 話題の映画やドラマなどへ、あれは真実ではない、などと無粋な声があったりする。嘘世界を楽しめない人生は寂しい気がする。

 子供の頃は嘘か本当かなど考えもせず、とにかく面白いこと楽しいものをただ追い求めることができたのに。

 利害損得の大人社会に揉まれ続けていると、どうしても現実真実第一思考。
 そのために夢幻の世界、空想ストーリーに心を遊ばせることができなくなるように思う。

 せめてこの月だけでも、真実ノンフィクションよりフィクションでこそ味わえる世界を、大いに楽しみたいものだ。





          −*−




    #2:  3/26(2022)


 湖の白鳥が帰路についたと報じられた。

 毎年この地方に飛来しては、晩秋から春まで湖沼河川にむらがりたわ群れる白鳥たち。

 彼ら彼女たちは、春、雪解け水が増す水面を後に、三々五々ロシア極北の地、シベリアに還る。
 それら最後の湖水の一団が発った。

 この10年ほど、毎年彼ら彼女たちをファインダー越しに視てきた私にはちょっと寂しい。

 昨秋からの今季、飛来数がかなり多いと同好のかたはいう。
 二箇所の飛来河岸で撮る私目にも、増えたよう見えた。

 飛来数といえば、11年前の大地震と原発連続爆発の広域汚染、その秋の大洪水。白鳥たちは何程の影響もなく現れたのを不思議に見えた。

 してみれば人間世界の今流行りの感染症なども、なんのこともない地上の些事か。

 それよりここ何年かの鳥エンフルエンザで、餌を持ち寄る人影が絶えたのが寂しいかもしれない。

 あちらへ戻るには何日時要るのか、元気な白い群れを目にするのは何ヶ月先か、そんなことを想いつつ朝の散歩空を見上げたのでした。





          −*−




 #1:  3/21(2022)


 南のほうでは桜の花が咲きはじめたとか。
 この東北は春彼岸にはまだ、つぼみ。

 でも梅は咲き、つい昨日まで残雪まばらな地面も若草の緑が増いていて。ふきのとうの薄い緑の顔までが覗く。

 この後をおうのは黄緑の春蘭。そしてショウジョウバカマ。カタクリやイカリソウはピンク色。
 どれも草地や林木の足元に咲く春の可愛い小花。

 ですのでカメラに収めるには腹ばいになって覗くことになる。それでも不要な周囲背景からは、なかなか切り離せられず、それなりの技が要る。

 そういう試行錯誤、悪戦苦闘を楽しむのも、春のカメラライフの面白さではありますが。

 そして面白さとなればのド真中に、撮る醍醐味、”桜”が控える。

 街角の桜木から河岸の桜並木。そしてわが県わが地域に多いのが何百年もの古木銘木、一本桜たち。

 レンズを合わせれば写る。そう写るにはうつる。のではありますが、これがかなり手強い。

 さてさて今年の春は、どんな春姫たちのまぶしい晴れ着の装いに出会えるのか……。
 








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