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夢舟亭
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夢舟亭 メインページ 《幻考様思》
              過去掲載記録






#51 (2023/06/30)

 世はデジタル@ャ行り。
 宣伝CMは勿論、政府までもが。可笑しいほど。
 デジタルはアナログとの比較で優位でオシャレ。

 数値表現的な印象は、明快でスマート。
 対してアナログは、曖昧でゆるやか。大まか。

 元々は通信技術用語。
 電気信号の有か無≠1か0≠ナ組み合わせて意味をもつ。全てを1か0にして扱う。
 そうした考え方のやり取り方式が、デジタル。

 対して従来からのアナログ&式は、信号が形や大きさ、量の違いに意味をもつ。
 歴史は長く、デジタルの基本も実は、アナログ。
 デジタルといえど電気信号。幾らからが有≠ナ、どこからが無≠ゥ。の境目はアナログ。

 判断された後にこそ、デジタル夢世界が広がる。四則演算はもとより音声や画像などお扱えないもの無しの勢いは止まらず。

 だが01判断の境目が揺らいだら元も子もない。
 その上での、デジタル夢世界。
 夢世界とは、理論的に、完全に%ョけばこそ、まことに明確な表現と結果を導く、ハズ。

 数値、たとえば5≠ネらどこまで遠くに伝えても、何度複製しても、いかに素早く読み書きしようと、5∴ネ外の何者にもなり得ない。
その中≠フ限られた世界内では、だが。

 その世界内とは、コロナ禍で不足、逼迫し取り合い奪い合いになっている半導体の中≠ナ。

 言い換えれば、その夢世界を一歩出てしまえば。そう人間世界においては、その数値は3にも1にも、10や50にさえ聞こえたとか、言い換えたりするわけで。




        −*−


#50 (2023/06/20)

 木漏れ陽が地面で揺れている散策林道。

 降ったり止んだりを繰り返して今梅雨どき。
 降れば豪雨。晴れは猛暑。ここは亜熱帯の列島。

 温暖化への流れは、世界中が実感。
 だがそれは人為のものか、はたまた永い億年星命の、灼熱から氷河の繰り返し過程か。

 この変化が多くの生命体にヒト科のわれらにも、悩ましい未来不安。80億余が生存可能かと。
 老若男女が、降っても晴れても、荒れても枯れても、怪病もが、異常はすべて温暖化と。

 温暖化、その対策とかテーマとか、疑心暗鬼言葉と映像を生む。
”食糧難”、”自然エネルギー”、”SDGs”などなど。果は原発”可”。

 まさに惑星地球号は大海大波に翻弄される小舟。
 乗員はどれほど生存できるか。

 そこへ神の如き天上から、ノアよの声。救世主は、AIなんとか登場。
 難題課題を数秒で、ありがたき解決策。

 溺れる者は何にでもすがる。
 とはいえ、この星の未来に見切りをつけて他の星へ避難移住を、としたら。

 天上からの細糸、文豪の”蜘蛛の糸”のごとく。
 頼りなくか細い糸に、われ先にと群がる過重で切れて、誰も助からず。

 果てしない空間に釣る糸もなく浮かぶこの星に。
 この先どんな未来が待っているのか……。

 と、なんともラチもない森林浴、SF的夢想。
 林道の清涼な酸素胸いっぱーいのひと時。


        −*−


#49 (2023/06/10)

 雨期とはいえ、すでに台風は3号発生という。

 その影響もあり、例により日本列島は雨降り。
 西の方では激しく、水害続き。線状降水帯発生。

 それにしても、台風の通り路、と言われるごとく、毎回と思えるほどにもよく通る。
 この列島国土を通過し、あるいは接近。影響を及ぼすからたまらない。

 過去に何度も襲い、大きな被害を広く残した。
 この先未来も、台風の進路や勢力の制御ができない限り逃れられない。

 たとえば、最速スーパーコンピュータがであろうと、最新AIマシンだろうが所詮は人智の産物。
 人の知恵で知りうる経験済の理論で編んだ命令語列の高速実行出力でも、土のう一つ動かせず。

 ましてプログラムには漏れもミスも忘れも、勘違いや思い違いも含まれようこと。
 某銀行システムも、マイなんとかもしかり。
 片隅の住民としては頼りにならず。

 思えば、アメリカや中国国土の20数分の1ほどの小島列島の住人1億余の生命と生活環境の安全確保を、漏れ無く守るというのは難しい話ではある。

 そうして思えば、自然の猛威は強大過ぎる。
 ま、それは有史以前から明々白々なことで、人間ごときの及ぶ相手ではなし。

 願わくばと、祈り、可能な限りではあるが、各自各々、被害減少を図るしかない。
 今まで通り、”予報”の「ご注意ください」に精一杯の対処をしよう。

 今度こそは向こうを通ってくれよぉ。お願いッ!


        −*−


 #48 (2023/05/30)

 目に青葉。鰹の水揚げも報じられた。
 私には分からないがホトトギスも居よう林へ。
 樹木は鬱蒼とした緑葉の衣で膨らむいい季節。

 今では花もない藤づるは、よその木枝に絡まり、わが物顔でおのれの葉を茂り垂らす。
 桜木もまた、一ヶ月ほど前の淡いピックの装いなど無かったかに、緑一色。
 花は葉を知らず、葉は花を知らず、か。

 けれど葉の間には花が確かに在って遺した実が。
 藤の実はエンドウマメのサヤが大きい感じに。
 桜の実は赤く小さく。食すさくらンボの元子か。

 そうそう葉と花が時期を別に育つのは彼岸花も葉が先。細長い茎の先の紅冠の花は、葉知らず。

 こうした目線は、人間ならではだろうか。
 今日は私の伯母、母の最長姉の命日。

 母の実家は使用人を複数つかっていた職人の店で、兄弟姉妹は十一人。
 当時の男子は皆戦地へ。残ったのは一人という。

 姉妹四人の一番下が母。一番最後に亡くなった。
 つまりは親をはじめ兄弟姉妹皆を見送った。

 戦時中、一番上の姉は実家に見合う裕福な家庭を、南方の国で持った。
 けれど終戦引き上げの後は、家族や子がなく寂しい生活を送った。

 離婚シングルの母と一子の私は、貧したなかで伯母と最後まで交流を続け、看取った。

 いつの間にか、母の家系家族との親交はほとんどが絶えた。
 今わが家族は伯母たちもその家族の憶えもない。


        −*−


#47  05/20(2023)

 若いときには先への夢や希望があった。
 老いてみれば、先のことより思い出が多く蘇る。

 誰でもそうなのだろうけれど、そうした思い出の出来事は、寝て見るほうの”夢”に現れる。

 それら思い出の”時”年や時間は、前後したり。
 無かったこと、あり得ないことまでが加わったりするから、面白い。

 私の夢に、ああ間に合わない、という展開がけっこう多い。
 仕事現役の頃の場面で、会議や待ち合わせ、指定乗車時間に遅れそうで、進めない障害が次々と。 

 これなどは目醒めてから、どっと疲れがでる。
 そのようなことが当時現実にあったかな……と。
 2,3そうした焦る経験はあったかも。

 また思い出の人たちがそれぞれに、出会うはずもない年齢差や、異なる世代が生死別なく現れるなども、夢の面白さ。
 映画や本で読んだ人や場所の情景ややり取りなども可笑しい限り。

 可笑しい、というだけでなく、喜怒哀楽の感情を動かされるのもよくある。

 寝てる家族の笑いや怒り叫びの声などは聞いたことがあろう。

 自分でも、目醒て涙していたなど、何度かある。
 そのストーリーは必ずしも覚えてると限らず。

 そうそう、夢で見たシーンが現実の眼前に、というのも。

 見ようと思っても見られないし、思った展開にもならず。夢とは不思議なドラマだ。




        −*−


#46  05/10(2023)

 雪降りはともかく雨降りは散歩に出ない。
 傘をさせばできないこともないが煩わしい。

 そんな日は借りてきた本を開くか、音楽に浸る。

 本はほとんどが小説で、伝記やドキュメンタリ系、ノンフィクションは少ない。
 音楽のほうは多少、うるさい。

 うるさい、とはボリュームをあげて大きな音で、ということもあるが、かなり長く聴き続けてきてるので、知っているという意味。

 どの位かといえば、小学生のころからだから、名のある曲は、一応人並みの上くらいには。
 母がラジオで聴いていたのを耳にして覚えた。

 誰のどんな曲かまでは覚えていないが、若い頃看護婦だった母は、クラシック音楽好きの医師の影響で聴くようになったらしい。

 そんなこともあってか、私が小学の中ごろにヴァイオリンを習わないかと言われた。私は即、拒否。
 なにせ当時ド田舎暮らしのなかで、ヴァイオリンどころか街まで通って”習う”など、遊び友達にも恥ずかしい気がした。

 それで母は、後年私の子どもたちにピアノをプレゼントし、習わせた。男の子たちに、である。
 もう気にする時代でもなかったので、息子たちはそれなりに通ったようだ。それも中学までだが。

 私の方は、60年代に盛んだった”音キチ”に。
 良い音で聴きたい、いわゆるオーディオマニア。
 飽きもせずに、今ではCDが4桁。

 雨の日に、うるさい源が、これなのだ。

  *ご参考まで:音楽と私





        −*−


#45  04/30(2023)

 マイページトップの当縦字掲載が1年を越えた。

 この間人間世界は”戦争”、”病”、”経済”に揺れていた。

 それはともかく自然界のほうは、季節と気候のズレが早まったか。今は春。
 寒さで籠もっていた冬から、一転、

 梅や桜にすべて華やぐ盛り上がり気分は、この列島人にとって待ち焦がれた明り。
 前述べの”病”を一掃し、”経済”に息を吹き込む期待もあがる、国家的連休へ。

 幸い好天続きもあって、私も人気のない静寂の森の、小道に踏み入る。
 つい先日までの寒風やみぞれの雨はどこへやら。

 足元から周囲の林木立までが、みな濃くも淡くもある緑の衣。鬱蒼と膨らみ張出して。

 立ち止まると、そよ風が木の葉を揺らす。遠く近く野鳥たちの啼き交わしが聞こえる。

 また草道を歩みだす。さく、さく、さく。
 薄着のはずが汗ばむ。
 
 足元には、イカリソウがピンクの花びらを四方に尖らし。
 雑木や、ささ竹に混じってツツジが、赤い。
 頭上の栗の木には綿のような白い花。
 また行く手の木立には、紫の藤の花房が数多く垂れている。
 甘い匂いがするほうを見れば、桐の木に紫の花。

 木漏れ陽の先一面、真っ青の空。

 人影を逃れる散策だから当然に、人の姿無し。
 つまりはこの山、自然を独り占め。至福の快。




        −*−


#44  04/22(2023)

 梅の花が咲いたと聞き、追っていた3月後半。
 まさかと思う間もなく一斉に咲き始めた、桜。

 温暖化とかいわれる今にち、当の桜たちの知ったことではなかろうが、やはりそうかもと心急ぎ。

 県土内を大きく周回した桜前線。1ヶ月ほどお付き合いの追っかけ撮り三昧。ほっと一息の、今。

 パソコン内に溢れかえるデジタルカメラの映像データ。
 今、見返すも疲れるほどスクリーンも目も桜色。
 毎年この後が、しばらくの愉楽悦楽。

 大樹銘古桜は、大空に向かいまばゆいほどの大桜翼を広げ、観あげる皆を圧倒し歓声さえ漏らさす。

 田畑が遠くまで広がるなかに、灌漑の自然堀がくねって続き。両岸に、数十年も咲き続けた桜並木。遠く山並みを背景にして延々と果てしない、ふるさと風景。

 山道をゆけばいつもは山森林、その片隅にこの時季なればと、清楚でまぶしい桜の木立が。

 などなどのそれら全てが、必ずしも青碧好天を背にした満開とはいかないのだけれど。
 曇天の二分、三分咲きをまえに無念の思いもあれば、満開晴天に狂喜小躍りも。

 それぞれが、嵐のように舞来ては、有頂天にさせた春の瞬速桜前線の記録。
 どれもが道中経路とその時々の、樹形や枝ぶり開花咲きぶり、観桜客や周囲風景も春風に蘇る。

 毎年似ているが、おなじでもなく。一枚いちまいに、振り返るだけの大中小の思い出をのこした。

 今、北方の桜の報に、思いは早くも来年へ。





          −*−


#43  04/12(2023)

 寒暖を繰り返しつつも春は春。少しづつ確かに。
 梅が咲き匂い。畑に菜の花。道端にはたんぽぽ。

 とはいえ一番開花の待ちびとが多いのは、桜。
 ダントツ首位が桜の花。桜、さくら、サクラ。

 桜には開花予報あり。開花情報となり、花見名所案内。満開や人出の報も。

 数輪の花を見つけ一喜一憂し、満開に破顔興奮。花吹雪に両手をかざす。果は花びら花筏。

 かくいう私メもこの時期、車を駈って奔走す。
 半径30分から、小一時間、連日、血が騒ぐ。

 当然相棒は、カメラ。行き先コースは過去10年ほどで、老脳に刻印ありてナビ不要。

 初期には暗中模索出たとこ勝負も、年を経るごとに知り覚えた。
 意外な近場に銘木一本桜が。100年ものや300年を超える古木もが、清楚な桜香艷彩。

 県外ナンバー車も含め、カメラ携えの数名が10メートル超えの巨木の満開盛りを見上げている。
 そして、 往時の城主の趣味とか指示とかで今が在るのだとかなどなど。由来から他の名桜の開花情報も交わす。

 広いわが県は、桜開花時期が、わが地域を中心にして大周りするかたち。
 南側海岸線を北上してきては内陸に入り、南下。その後内周を北上。
 その先で会津方面から日本海側へ向かう。

 そうした桜前線の周回軌道上に、あれやこれやの名桜古桜が点在している。
 などなど尋ね訊くことのほうが多かった私も、近年少しずつ教えるがわに。






          −*−


#42  04/01(2023)

 春は名のみの風の寒さ・・などの歌その詞、意味も文字もなく過ぎてきて今。
 この歳辺りになって、ようやくその意味する季節感が肌で分かる、春の候。

 三寒四温、もまたおなじく確かにそうだと、衣類の着替えや着戻しを繰りかえして。

 また、一斉に花開く春というのも。梅やツクシ、たんぽぽの最初の一輪に湧く嬉しさ。われながら、驚く。
 旧知の人との会話、始まりはそんな事々から。

 そうしたやり取りにこもる実感真実味は、互いに来した人世の道々がにじんで聴ける。

 それは、葉もないこの季節だから目にする木々樹木の枝ぶり、と重なる。
 どの木どの枝も、伸びる曲がる枝分かれる姿は異なる。おなじものは無い。

 雪の多い地域などで、幹はもちろん木枝は雪の重みを、幼木の頃から受けて曲がるもの、と。

 広い庭で良く手入れされた一本でもないかぎり、自然界で雨風雪にさらされれば、すくすくと真っすぐに育つなどということはなかろう。

「孟母三遷」のたとえでいう、子どもへの悪影響を心配し、取り除こうと生活環境を次々と替えるなどは、誰もが簡単にできるわけもなく。

 そもそも子供が育つ、人が成長するということは、人世の清濁併せて見聞きしつつ、悩み苦しみながらも、己の意識や判断力をつける。
 その繰り返しが逞しさへの道かもしれない。

 それぞれに初めての道を踏む、春。風は少しずつだが暖かさを増してきて心地良い。





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#41  03/21(2023)

 彼岸花、というと秋に咲く真っ赤な野の花。
 春の彼岸の花というなら……わが地方では昔ながらのカラフルな造花。
 木を削ったカンナ屑のような、木かわを組み合わせて作る、
 簡素ながらも、赤黄緑紫などに染めて、墓前に添えられている。
 寒村のその季節に、花が手近に無かったからか、生花より長持ちするからか。この風習が今も見る。

 現代では、たいがいの家庭に小花ひとつぐらいは植えられていて、春めく頃に咲きだそう。
 春秋とも彼岸の頃には、スーパーやコンビニに菊の束が並ぶので、生花は手に入る。
 そんなだから墓前の花も生花がほとんど。

 そういえば昨今は、四季変わらず多彩無変の造花が挿してある。
 低価雑貨の量販店に見る、プラスチック製の花。

 ほとんどの花種を模してあるので、季節依存なしに手に入る。
 墓前に造花など、という手抜きで気が引ける思いも多少あった。
 だが今では気にもならず。墓前は年間通して色彩豊富で、華やか。

 墓といえば、近年墓の石質や色、そして形も種々変わったように見える。
 従来の標準的な高丈縦長から、背の低い横四角や、丸まっこいのも。

 さらに変化したのが、○□家の墓、の家系名がふたつ並んでいたり。あるいは、和、などの太文字だけのも。
 皆それぞれにお家事情もあれば、墓への考え方の違いもあろうこと。

 この世から、あの世はるか彼岸へ、いろいろ。







          −*−


 #40  03/12(2023)

 運動不足だからとか、老化防止とかいうのではなく。
 ただそうしたく、せずに居られないから。だから外を出歩く。日に一度は。
 ふうっと視野が広がり、焦点距離は室内1,2メートルから一挙に10メートル100メートル。

 目に良いだけでなく、耳に届く音も前後上下、四方から立体的。大小の低音高音と豊富。

 加えて、季節の寒さ暑さ、快不快そのまま。
 山道となれば自然育ちの植物がそこにここに。香りも放つ。

 機が滑走路を離れると、即海岸線から飛び出してしまう島国とて。
 機窓からは、山脈森林の多さに驚くこの国土。
 都市といっても、森のなかにぽつぽつと。

 先年仏国のドキュメンタリー番組『人類の消えた地球』を視た。
 都会風景ほか壮大な建築物など人類文明の痕跡が、時の流れ自然変化に任せ、徐々に消滅する様子が、儚い。

 科学的知見から描いた無人の地上は、100年もすれば人間遺産が風化し鬱蒼とした植物群に埋まってしまう、と。

 たった一輪の小花が、アスファルト路の隙間から顔を出すのを見つけても感じる、あの植物の驚異。
 アジアの山林や、南米高地の、今では人影もない遺跡にも似て。
 植物侮るべからず。

 酸素生成生物群は、味方にし共生すべき「無料の命綱」。

 身近な彼らを見直しつつ歩む、春の林道。







          −*−


#39  03/01(2023)

 散策林道一面に、倒木や大小枯れ木がある。
 昭和の中ごろ、こうした木々は燃料、薪にした。

 その昔藩政の時代。家々に立ちのぼる朝夕の煙で民の食、台所事情を推し量ったという。

 私も母と枯れ木落ち葉を拾い集め焚いたものだ。
 だから今も、煙とオレンジ色の温もりを思い浮かべ、「もったいないなものだなぁ」とつぶやく。

 今、燃料といえば電気やガスそして石油。いつの時代も燃料は生活の熱源、エネルギー。
 とくに電気は家庭に楽しみ娯楽まで運んでくる。

 とはいえ、電気電力は、熱エネルギーによって生み出されるのをわが県人は痛いほど承知している。
 原子力、核エネルギーの高熱蒸気により発電機タービンを回していたのだから。

 子供だって、原子力発電は放射能、人類を脅かす怖く危険な放射性物質のおまけ付きだ、とまで。

 熱、蒸気、タービン、といえば、今では”SL”と称す蒸気機関車。電車や新幹線に時代を譲った骨董的鉄の巨体。
 あれと同じ原理。熱源が石炭から原子爆弾の核エネルギーに替わっただけの、原発。意外に古式。

 原子爆弾の”超”エネルギーなら、さぞ超高温蒸気で大量の電気を発せよう。小出しなら長期間も。
 これぞ悪魔の兵器の平和利用。明るい未来のクリーンエネルギー、だと。

 しかしながら、浅はかなるかこの目論見は、敗戦後再び、牙を向いて襲う。誰もが為すすべ無く。
 2011年3月、逃げ惑う10万規模もの民。
 国破れずに、ふるさと”山河”まで失った。

 あれから12年。無念と恐怖喉元過ぎしか……。








          −*−


   #38  02/20(2023)

 晴れても、まだ山からは寒い風が吹いてくる。
 だから防寒の上下に身を包んで散歩にでる。

 公園を通ると、年初から始めた新参散歩の犬連れを何組か目にする。
 昨今は小型犬が売れ筋らしい。
 ペットショップを覗くと、ちょっとした中古車ほどの値段。にもかかわらず。

 なかには、小さな体毛をカラフルな衣が覆っていたりする。
 ショップにはこうしたものも多く並んでいた。
 毛深い種の耳には、赤いリボンなどもあって。
 まさに愛しさのかぎり。

 知人も小型の人気種を永く飼っていた。
 だが一昨年亡くして、その後公園からは退場したまま。
 家族であり血を分けた子供にも負けない、愛犬ゆえなればか。

 寒空の下の犬連れ散歩を、遠くから見ているとあっちに走り、こっちに戻り。他犬と吠え合い。
 引く綱は緩んだり、絡まったり。犬に引かれ右往左往するは、ご主人。
 散歩の主導権、その行く先を犬が決めるのを、主は楽しんでいるよう。

 そういえば英国ロンドンでは、街中をゆく犬連れ散歩の、愛犬家が多いとか。
 そのために犬躾の学校があって、そこを経ないでは街中を連れ歩くことが難しいようだ。

 以前見た映像では、犬は主の側について離れず、先に出ず。
 散歩の主導権は常に人間様のほう。
 犬めは一歩下がって離れず、周囲に脇目もふらず、ただ着き従うごとく。
 そんなふうに教育されていたが。







          −*−




  #37  02/11(2023)


 2月は毎年ほぼ同じころに雪が降る。
 12月1月より多く、今朝も20センチ超え。

 童謡の庭駆け回る犬のようにカメラ肩に長靴で。
 朝日に向かい白銀世界の被写風景を求め、外へ。

 雪道は歩き難くく疲れる。だから青空を仰ぎこまめに立ち止まり、休息。
 なぁに急ぐことはないのだ。

 どこもかしこも一面が真っ白。これは清潔感、寒い風まで爽やかに。
 医療従事者が白衣を纏う意味がこれか。白衣の天使、とまでいわれるが。

 そうそう「色の白いは七難隠す」ともいわれる。
 黄色でも水色でもなく”白”というのが肝心。
 ましてや”黒”や”灰”など論外。
 今見回すと、晩秋からの枯れ葉や土手の黒は無く、みな白くなだらかな曲線に埋もれている。

 白いキャンバスに描くように風景を撮れればと、近く遠くへと視線をめぐらす。
 白い起伏が連なる田畑のはずれに柿の木が、2,3個実を赤く残していたり。そのはるか奥には山脈が雪をたたえてそびえるも一服の絵。

 とはいえ、これは雪の白の賛美話であって。
 欧米の有色人種差別報道を思えば、迂闊に”白”が良いとも言えない。今どき世界は狭い。

 ましてわれら日本列島の住民とてアジアの一員。立派な黄色人種。黄色肌は有色。
 白に、あらず。

 この地球という大自然は、白から黒までの肌色人類を、億年規模もの時間に、いかなる理由経緯で生み出したものか。雪は世界中で、白なのに。







          −*−




  #36 02/03(2023)

 お隣中国の旧正月のお祝い、春節が報じられた。

 さらに近い韓国でも旧正月を祝っているし、周辺アジアの多くの国の台湾もベトナムも、マレーシア、インドネシアほかタイ、ブルネイとかモンゴルもだという。

 そういえば幼い頃、わが国でも西暦の元旦を祝いながら、旧正月も祝っていた。
 切ってきた小枝を柱に取り付け、カラフルな団子をさして飾ってあった。
 さらに、枝にはせんべいの赤白模様大判小判や、鯛なども下げてあった。

 なんの祝なのかも知らぬまま、今頃他国の伝統行事から、思いあたり懐かしく感じる。

 そうしてみれば今日は節分。ほか、ひな祭り、端午の節句と純日本風な行事もあるが。
 バレンタインやホワイトデイ、あるいはクリスマスなど西洋ものも楽しむ和洋折衷が現代ニッポン。

 中でダントツは、クリスマス。
 ケーキ屋さんが忙しい日。

 幼い頃、子供雑誌記事で見ては、プレゼントを心待ちにしたものだ。
 でも今どきのような高価で贅沢なものはではなく、また要求などできなかった。

 それでも母の笑顔とともに思い出すプレゼントに長靴があった。古靴の小穴を知っていた母。
 包を開くと新しいゴム長は、黒光りしていた。
 翌日から雪の降るのが待ち遠しい。

 早起き数日後。窓外真っ白。新しい長靴で踏む。
 キュッ、キュッ。キュッ、キュッ。

 今でも、新雪を踏むとき、あの音が聞こえる。





          −*−





  #35 01/21 (2023)

 先日、家人手製のカメラ防塵布袋を落とした。
 いつもの散策林道を出て、カメラに被せようと防寒ズボンのポケットを探って、気づいた。

 3キロメートルほどのマイ散歩コースは、なれた道とはいえ草道や雑木の森林、けもの道。
 水分をはじくすべすべ布は軽く、風に飛ぶ。

 帰宅して告げると家人は、また作りましょう。
 いやしばらく探して歩く。きっと見つけると私。
 とはいえ、自信はない。

 翌日からカメラは持たず、探しもの散歩に徹す。
 うろうろきょろきょろ、広く近く左右から前後へ目を配る。行きつ戻りつ。

 できるだけ目立たないようにと選択した袋布は一番渋い、茶褐色。
 枯れた山野の色に混じり、識別はほぼ不可能。
 文字通り”しらみつぶし”の倍時間散歩でも。

 やはり作り直してもらおうか。使い始めて5年も経ってるしと言い訳もうかぶ。

 ふくろやぁ〜い。どこだぁ。

 映画『楢山節考』で深山に置いてきぼりした老母を探す息子のごとく。袋ならぬ”おふくろ”探し。

 倒木枯れ枝を手頃に折って杖にして、立ち往生。
 やっぱり見つからぬと腰伸ばし、ため息ひとつ。

 探し尽くしも極まり、何度か通過した捜索基準外の雑木坂道で杖を振ったその先。ふむ?
 踏み出してしゃがんで、むむ……おう!。

 あったあった。
 おふくろ〜! ここにいたかぁ。





          −*−




  #34 01/14 (2023)

 好天続きもあり、白鳥飛来河岸へ出向いている。
 先年、発信機をつけた彼らの戻り先調査の放映で、ロシアの北、北極圏の湿地帯で卵を生み育てるのを見た。
 そちらでは襲ってくる獣もあって、気の抜けない子育て苦労の親夫婦が映っていた。

 その分、数千キロも離れた第二のふるさと、静かなこちらはさぞかし心安らぐ時か、のどかそう。
 真っ白く大きな彼らが羽ばたく様はとても優雅に映え、カメラファンに人気がある。

 翼がまだ灰色の子供たちも、今季初めてとはいえ長距離飛行をして来ただけに、川面を精一杯駆けて羽ばたく姿には、心打たれる。
 だから親に負けずに飛翔し雲の彼方へ姿が消えるまで、佇たづみ見送ってしまう。

 草食の彼らの行く先は田んぼや湿地。籾殻や若芽などのついばみへ。夕陽が沈むころ安らぎの川辺に戻ってくる。
 その繰り返しが第二のふるさと、別荘地生活。

 といえばなんとも穏やか過ぎはしないかと思う。が、よくよく見れば実はそれほどでもなく。
 何を争うか集団同士で、怒鳴り合い小競り合いも、とことん追い詰め怪我を負わすのも。彼らのイジメもハンパではない。

 夜間にはせっかくの子宝が狐貍に襲われることもあり、7羽もの子だくさんに感動の拍手を贈った翌日1羽減って、他人事と思えない寂しさを感じた。

 飛ぶ生き物とはいえ、いや飛ぶ鳥であるからこそ、美しく大きな翼は大切な命綱。
 怪我などしたら人生否、鳥生はたちまちにして絶たれる。食にありつけず生地帰環も叶わぬ。

 親兄弟でさえ手助けなどできす、唯一自力のみで飛ぶしかない彼ら。厳しい生だ。




          −*−




   #33 01/04 (2023)

 人の世界ではなにはともあれ、ご無事に年あらたまり、おめでとうございます。

 皮肉めいた例えの、「門松は・・・めでたくもあり、めでたくもなし」の、あれに似れば。
 ほかの生物の皆々様におかれては、たんに先週の翌週で、昨日の翌日の今日。地球は回る。

 いつもののように、林道散策で一息。
 来客宴席での満腹そのこなしに、ちょっと先まで足を伸ばす。

 遠望。その向こうに新幹線が。
 お上りの列車が行き過ぎる。グォー。
 また来いよぉ〜! 口から漏れる。

 心なしか車体は一回り太めで、ちょっと重そう。
 今正月は、久しぶりに帰省客満員とか。
 となれば明けてその戻りもまた、当然の混雑。

 君と、僕。あなたとわたし。恋、涙、愛・・・の流行歌決算オンパレード紅白などを、何年ぶりかのふるさとの風景匂いのなかで家族団らん。

 飲めや食えやと酔って、懐かしさに顔もほころぶ、おふくろの味三昧。

 指折り数えたお正月も、ほんの一夜二夜が嬉し。それもあっという間。夢見まなこをまばたけば。

 父さん、母さん、爺ちゃん婆ちゃん、またね。お元気で。
 お前たちもなぁ……。

 お上り超特急で戻る都会、不夜城の街。控えしは”オシゴト”と、”スーパーの味”が待つ。

 お疲れさま〜。








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