・・・・
夢舟亭
・・・・


夢舟亭 メインページ 《幻考様思》
              過去掲載記録




幻考様思#69 (2023/12/28)

 今年もいろいろあった。
 と言いつつ暮れるのが、年末の相変わらぬ思い。
 ではあるがそれぞれ年ごとの出来事が公私にある。

 1900年代から国際的な新年コンサート中継を録り続けている。
 それらは時の記録媒体の進化により、テープから円盤ディスクに。ディスクも記録密度の精細度が向上してきた。
 つまり時々の技術により記録物体が変わってきた。

 物体、とは言ったものの、今それらはパソコンの記録メディア内に、ほぼ全て収めてある。
 だから各々が個の物体とは言えないのだ。
 これが世の進化というものなのだろう。

 とはいえ人間社会は必ずしも進化していないのか、戦乱が絶えない。今どきグローバルなる乱世は世界を2分して凄まじい。

 音楽界にもその影が色濃く覆う。
 侵略を仕掛けた国の音楽家たちはもちろん、多くの文化人や文化事業関係者が世界でボイコットされているという。
 国の統治者の思い実現に国民皆が賛同しているはずもなかろうが、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』と、世界の目は厳しい。

 たとえ目的完遂相成った先で、戦勝後に元の賛称の拍手で再び迎えられるだろうか。
 かえって敗者になった場合のほうが、その可能性は多そうに思える。
 我が国にも『判官びいき』ということばあるように。悲涙絶叫悶絶の名場面は多い。

 人世の情感とはそういうものではなかろうか。
 そして古来、芸術世界こそそうしたものを表現し享受共感し合う形式媒体なのだと思うのだが。




        −*−


幻考様思#68 (2023/12/20)

 幼い頃、こたつを囲み親から昔話を聴いた。
 今、ネット時代。各自手元を見下ろし親の話顔を記憶できようか。

 とはいえクリスマスの宵にサンタのプレゼントを信じて床につく子供心は健在かも。
 それはともかく、親に語り聴かせられた話に目を輝かせ、絵本の挿絵に見入った夢見るようなあの頃。

 そうした話の仕舞には、「みんな仲良くしなけりゃね」「弱い者困ってる人は助けないとね」、さらには「だから悪いことはしてはいけないんだよ」や「それからはみんな幸せに暮らしたとさ」。
 で、わかった、よかったな、と眠りについた。

 世界の国々とも昔話はそうしたもののはず。
 無垢で生まれる子供の心を、どう育んできたか。それは現在の大人社会を見れば分かるのかもしれない。

 言い方を替えれば、今現在、子どもたちが置かれている状況下で、いかなる大人が育つか。

 いつの時代も世界で問題の無い国はなかろうが。
 今、この星この地上は、人が80億もで溢れてか、物やお金の奪い合いだけでなく、命を奪い合う。

 日々世界のニュースで見聞きするものは、子供の頃に聞かされた昔話のような素朴な様子などではなく。
 嫌がうえにも凄まじく血なまぐさいシーンが、日々毎時飛び込んでくる。

 それらは大人が娯楽で見る戦争映画さえもが及ばない、現実の生もの。もはや皆が見慣れて感覚麻痺。

 登場する主役たちは、人殺傷の数を競い、武力の強大を自慢する。
 どんな昔話で育ったか今大人たちは、終わりが見えない戦争のどちらかに味方している。



        −*−


幻考様思#67 (2023/12/10)

 落語が好きでよく放映を観る。
 とはいえ一席30分を超える番組は滅多にない。
 落語に限らず今日び、日本の話芸をマトモにやる番組そのものが少なく、ほんのお触りの茶濁し。

 それはともかく、落語に「死神」というSFかホラーか、がある。
 神にも種々あろがこの場合は見すぼらしい老人。
 極貧に耐えきれず世をはかなんで自死まで考える男の前に現れ、ある知恵を授け元気づける。
 それは医師に成れるという呪文。

 翌日から男の人生はガラッと変わり、お医者様。

 この呪文の一手で、死病人を次々に蘇らせ、それが噂になり依頼人が増えて富を増やす。
 フトコロが温まればそこは凡夫。酒におんなと贅沢三昧の日々。

 せっかくの医業努めの手を抜き客を選り好み。で、遣い果たす。
 客が絶えてはじめて己の失態に気づく。

 貧したある日、珍しくも来客。
 危篤の主の助けを乞う。

 早々に出向けば、患者は、医術を神が伝授した際に「これだけは無理だ」とされる病態。仕方なし。

 けれど男は、家族が示す礼金大枚に目がくらむ。
 思案の末にやってはならぬ「禁じ手」を施す。
 それは己と病人の命交換の呪文であった。

 この話は30分ほどの滑稽語りでなかなか含蓄がある。聴き知った頃より好きな一席だ。

 笑いが主でない当時の名人たちはもう居ないが、今どきの噺家もなかな聴かせてくれる。


        −*−


幻考様思#66 (2023/11/30)

 時々通る街道に松並木がある。
 元々が長年奥州街道といわれた道。
 現代クルマには不向きな曲がりくねった時代物。

 以前2度ばかりこの道を歩いたことがある。
 いい具合に曲がりそそり立つ松木立を右に左に。

 季節のそよ風を受けるとなかなか風情がある。
 遠くは山並みを仰ぎ近くは田畑。つい旅人気分に。
 古くは北の大名行列も行き来したはず。

 先日その松の木たちの生々しい切り株を見た。
 たしかに昨今の「マツクイムシ」枯れ被害は大きく、この街道でもどんどん切り倒され、生存わずか。

 松の寿命が如何程か知らぬが人の一生よりは長い。
 であれば、人間社会の、数度の戦争のざわめき騒乱や高度成長の熱気も、木下を通過したろう。

 松の古木が口をきけるなら、当時の様子や現代海外の紛争との違いなど聞けように。
 さすがのAIも、切り株年輪データからでは読み出し不可能だろうか。

 イタリアのレスピーギ作曲にローマ三部作が。
 中にあるダイナミックな「ローマの松」の曲。

 ローマと言えば古代ローマ帝国は広い世界を征服。
 その当時の軍隊が、彼方に見えてはさっそうと松並木の街道を歩み過ぎる。交響楽音が盛大に描く。
 私は松並木を目にする度にこの曲を思い浮かべる。

 驕れる者久しからず、という。
 人の世はいつの時代も、社会背景や風俗などが異なろうと、驕り同士が衝突しては。多くを巻き込む。

 また栄えたとて永遠に続くことなどもまた、ありえないのだろう。


        −*−


幻考様思#65 (2023/11/20)

 今でもペットボトル茶は飲めない。
 お茶好きなのに茶とプラボトルが結びつかない。

 かくのごとく無意的習慣は簡単には覆えらない。
 人類数千年の永々とした世代交代が繰り返してきた様式と言えば大げさか。

 それほどでなくとも生い立ち後の習慣が、数年でなど切り替不可能は数あろう。
 良いし便利と無理強いしたとて、精神的にも身体的にも沿えないものが。

 変えて従うも、実は形表面だけというのもある。
 米飯とパンなどはどうか。肉と魚また菜の食は。
 体内の消化や代謝の処理上で、受付難しなどと。

 そんなしょうもないことを思ったのは音楽から。

 介護施設の「皆で歌を」では童謡唱歌や演歌民謡。
 ビートルズ世代さえがそれのようだ。
 フールオンザヒルをなどとの声はないらしい。

 幼いころ園内のお遊戯に童謡が。今はどうか。
 もの心時の曲は”血“となり、黄昏期になって戻るのか。鮭や鱒のように独自唯一の地に。
 であるなら他国他民族でも同じ傾向があろう。

 土地や水、風土や生活に馴染んだ体内から自然発生し歌い継がれたろう民謡古謡はその地独自。
 それらを含め、この島国のイメージを異国人らは暗く陰鬱にも感じると読んだことがある。

 異国に抱くイメージは古来貧しき民の心を宿して。
 たとえばロシア。寒き広大陸で生まれた哀愁あるメロディーはわが島国人の感性にも響く。

 私はそうした音楽を味わうには、音だけで良い。
 映像は物語を観るだけとこの体が決めて譲らない。



        −*−


幻考様思#64 (2023/11/10)

 コロナ落ち着き”として”の地域秋祭り再開催。
 離れ居を構える家族らも”そうとて”祭り帰宅。
 孫たちとの再会もしばらくぶりで共に祭り見物。

 祭りといえばお神輿。全国各地に有名なものは数あるが。わが街のお祭りで町内各かくの”神輿”行列、はともかく。
 通り両側に並ぶ露店を楽しむ家族子連れの、そぞろ歩きこそわが家では本命。

 帰宅連絡があれば実家で爺婆は”お祭り小遣い”の小封筒を準備して待つ。
 さらに手を引き街中闊歩にお付き合いとなれば、買い物分は”小遣いのほか”。

 昨今の物価高の波は、祭り露店にも押し寄せ、お高い買い物を、驚きつつ笑みつつ、福沢諭吉様と別れ。

 露店頭の品々、煮焼きの香りは焼きそばたこ焼き、綿あめやチョコバナナなどなど。
 どれも所も時代も変わらぬ祭りモノ。ほうばり歩きが嬉し楽し。

 私にとって懐かしいのは、焼きイカ。
 ところが今どき焼きイカとは、”ぽっぽ焼き”と称する生イカの姿焼き。
 スルメの茹でほぐし、醤油味の串焼きは無い。

 何故と問うも御無用。今どきスルメは高級食材。贈答品にまで大出世。露店で串刺し並びなど片腹痛い。

 当時男の子が欲しがった小火薬のかんしゃく玉や鉄砲も今見かけない。
 そちこちでバーンバーン聞こえていたものだが。
 時代や世相の違いか今どき火薬入手と銃の製作ネット掲載から実物製作へつながるか。
 また小刀やナイフなども目にしないが、やはり危険物とみるご時世だろう。



        −*−


幻考様思#63 (2023/10/30)

 今世界はカオスだという。
 混沌、混乱していると。
 世界のそちこちで多くの命を奪いあう争いが起きているから。

 そうした行いは権力者の掲げる大義を目的とした命令に否応なく従い。
 また反撃する側も否応なく国を民を守ると行動せざるを得ず。
 ほか世界の部外傍観国はどちらかの側への支持の声と支援援助物武器まで送る。

 こうした状態は世界で最大関心事となっている。
 今世紀の世界大戦が始まっていると論ずる声も。
 一層世界を巻き込み武器が火を吹くだろうと。

 日々その筋の専門家らの声があちらのテレビこちらのラジオから。
 交戦どちらが”悪行”かなど一概に判しえず両者それぞれに言い分があると。

 時間経過のなか”複雑ごと”は長期化し日増しに拡大。
 大義の犠牲者は日々増大の一途。武器など持たぬ生活市民が生命の危機。難民となり離散。

 困ったことにこうした世界の騒乱を收め沈めるべく人々の願いで創設され存在している組織が役割を果たせない行動を起こせない。
 その組織中央で決定権をもつ者らこそが今回のカオス起源根源なのだから。
 警察が自分たちの不満爆発で市民を犠牲にしているごとき。
 なら、誰が”こと”を収めるというのか。

 世界は人々は”互いに”より安心安全を求め平和を追求し続ける。
 文化文明はそのために生み出され”皆で”享受している。

 そう信じてきたわれら世界人は今、”自分の”絶対安心安全を求め戦争し続ける生物だと確信した。



        −*−


幻考様思#62 (2023/10/20)

 いつでもどこでもなぁんでも見聞きできる時代。

 幼年のころのマンガ本の、夢の生活環境。
 今ではそうした当時の夢のかなりが、現実化し身の回りに溢れてしまっている。

 私ら古老の夢をはるかに飛び越え。
 備える機能は無限の可能性を提供して。
 できたらいいな、から、もうなくてもいい、のほうが多く、使い切れず、手に余る。

 もっともそうした世の変化進化というものは、ずっと昔から続いているのだろう。
 つまりはわが幼少時も、老齢の目には目まぐるしく感じていたのかもしれない。

 たとえば初期の白黒テレビも、おったまげたか。
 汽車で一晩かかる山の向こうのトウキョウの様子が、即目の前に映るのだから。
 それへ自然の色がついてどこの家にも。

 誰の家でも冷蔵庫やクーラー、そして自動車が。
 国中の道路がコンクリート舗装、高速道路も。
 夢の超特急、新幹線が日本列島を往き来交う。

 いやはや、驚きはまだまだ言い足りないほどに際限なく。
 今ごく当たり前に、世界のどこのニュースも即時に観られる。いつでも、どこでも、時間制約無く。

 そうそう車の無いクルマが空を飛ぶなども、とうにタクシーとして大陸には存在しているとか。

 かようなごとき進化にただ驚く老脳の驚異はといえば、それら進化利便性に驚きもなく不満さえ垂れる現世代人。その様子こそオドロキであります。

 いったいどういう仕組でそうなっているのだろう、自分もこの手で作ってみたい、と。
 秋葉原でパーツ店ジャンク屋を漁った興味ワクワク老世代には、ただただ「もったいない」思いなのであります。




        −*−





幻考様思#61 (2023/10/10)

 満月、というので望遠レンズを向けた。
 撮ってみれば、月という星は丸い物体だ。

 卵のようなつるり表面でもなくウサギもいない。
 吊る縄もなくぽっかりと、宙に浮かんで見える。

 以前に天体観測大型望遠鏡を見たことがあった。
 何万光年も先のMなんとか星雲、とか。
 見えているのは何年も前の様子という。
 光が到達するのにそれほど時間がかかると。

 そういった星雲や惑星が何千何万まさに星の数ほど存在し、中空に浮かんでいるのが宇宙だという。
 宇宙の無限大とは、いかほどの広さか。

 あまりの大きさには想像力が追いつかない。

 宇宙天体に限らず、国土面積がわが国の20数倍、アメリカやロシア中国などへ実感が湧かない。
 一日かからず横切れてしまうわが国と違い、車で一日走っても風景が変わらないと聞くと降参だ。

 そういう国ではちょっと隣町へと気楽に散歩などすれば、下手すりゃ無人地帯で助けも来ないかも。

 そんなふうに、大きさ広さや距離などは、生まれ育って以来生活で見知ったものが、常識的な感覚として身につき、国により人により大きな違いを感じるのだろう。
 日本は、台湾から見れば大きいが、中国から見れば小さい、というように。

 おなじく「数」というのも桁が一挙に増えると、想像を超える。
 わが日本列島には1億人余が住むが、中国にはその十倍も居るという。
 これなどもやはり実感が湧かない。

 想像力を超えるものは理解し難いものだ。



        −*−



 幻考様思#60 (2023/09/30)

 しあわせ、の思いは人それぞれ。

 一個のおにぎりをほうばって涙する二者に似て。
 こんな美味しいものを、と喜べば他者は、こんなものしか口にできない、というように。

 これに限らず似た例は古今東西数多見聞きする。
 人はよそと比べたがる。上を見れば下に見える。
 で、不幸や不運に思えてしまう。
 よく言われるのは、羨ましがる前に努力すべし。

 けれど、努力すれば、競争心が湧く。
 競争すれば負けたくない。負けると悔しく辛い。
 辛さこそは、不幸の始まり。
 だが勝ち抜けきるチャンピオンはいない。いずれは息切れしてしまう。

 以前に政治改革で、一番でないといけませんか、というフレーズがあった。
 たしか女性議員からだったか。
 男女共生の今どきには差し障るが、やはり女性は大人だと新鮮に感じた。

 古語めいた、分相応、や、身の丈、というのもあるが、比較すればこそ、差その違いが見える。
 それで良いではないか、は弱気や向上心の無さ、あるいは我慢の思いを抱かせる。

 まして世界の先端商品が、秒速超えで進化を競い、日夜目もくらむ原色動画と衝撃音に叫び声で、消費者≠ノ押し付けてくる。

 着いて来れているかと、買い替えを誘う。
 旧品は新品に劣ると、不幸感をあざ笑う。

 これで十分との負け犬を生きにくくする情報化。

 そういえば、勿体ない、ものを大切に、節約、倹約、質素、の日本言葉は死語なったか聞かれない。

 


        −*−


 #59 (2023/09/20)

 面倒に感じる。
 だから、ついやらないでしまう。で家人に頼る。

 そうして身体を動かさなくなり、無精者になる。
 その分、家人は動き歩数も増える。

 たまには運動だと気合を入れ、一万歩ウォーク。
 でもその後、頑張ったとばかりゴロ寝。駄菓子などほうばりTV。
 結局元の木阿弥。健康維持運動プラ・マイ、ゼロ。

 健康に良いのは、やはり常日頃のコマメな動き。
 面倒がらず何でも自分で。できればひとの分も。

 ほとんどの家事仕事をする女性は長生き。その要因がこれか。
 男性陣は無駄な動きを嫌い、常に高効率重視。
 あれはよろしくない。一回で済むのも二回に分けるくらいが良い。

 また動作も、立ったり座ったり屈んだり体を捻ったり。重い軽い別無く持ち上げて移動。
 胴、手、足はもちろん、左右手指の関節細部までよく動かす。

 さらに身体上部の頭。その内部の脳。というと大概は新聞やTVニュースを、と。
 しかしながらそれは左脳=B知識や情報の記憶。多くの人はこちら重視。

 けれど右脳≠アそ大切。情緒や感情を司る。
 思い感じる脳で、幸福を感じ≠トこそ、人間。

 我思う故に我あり。自分でなければ、どこにもない自分自身の感じ思い考えを捻り瞑想する。
 ひとは皆そう言うが、この自分は……と。

 そういうてんでは散歩こそ、身体にも脳にも良い気がしている。




        −*−


 #58 (2023/09/10)

 熱地獄、猛夏もいくらか和らぎ。
 とはいえ台風後また30℃超え。

 年を経るごとに夏最高温度は上昇続き。
 はてさて、直接的熱射もだが、間接的弊害台風の水害地崩れ、森林火災なども拡大一途。

 生物は、動物も魚介も植物も昆虫もがみな目に見えず共生しているはず。
 水分を吸収保持し酸素を生み、食物連鎖や過剰な増殖制御。癒やしまで与えあう。

 そうした生きうる環境はあと何年維持されるか。

 この地球自然異常の大元は、嘆く側の人類≠ェ生み出しているとの説が今は有力。
 自然の億年変移でなければこの星の悪玉は人類。

 それを自覚し回避の策はあまり見られず。政治家は献金主のための経済優先! おヌシも悪じゃのぉ。

 終末は近い。

 イタリアはヴェルディの作レクイエム≠ノ、「怒りの日」の章がある。
 管弦楽団の凄まじい強奏へ合唱隊も叫ぶ大音響。

 死者は、墓を剥がされ、主の前に引き出される。
 皆が隠しようもない生前の記録により裁かれる。

 わが国では閻魔大王が同様の裁きを行おう。
 古今東西良き市民には死後裁き信仰が。

 天罰というのもある。
 多くの弱者の怨恨を浴びる許しがたき者へ、法外の心法≠ノより裁かれ下されるは、死。

 それは手段や形を問わず人知れず必ず下される。
 天誅ともいう。



        −*−


#57 (2023/08/30)

 通っているプールに親子組が目立つ。
 夏休みの終わりの駆け込み子煩悩特訓≠ゥ。

 浮き具を背にばた足の子は腕を水平に伸ばし、立った親がそれを引き「いいぞいいぞ」の声。
 泳ぎ組に迷惑なプール横切りに監視員が注意。

 わが子の小学時、水が怖くて逃げ回っていると通信簿に記されてたのを思い出す。

 似たような事情からか、親がやむなく休み明けぎりぎりになって、プールに連れ込んだか。
 こうした親の努力も虚しく、休み明けに子ども自身でプールに来るのは、まれ。

 私など小学のころは、綺麗だった川や沼での水遊びが、夏休みの定番だった。
 パンツひとつで友と水掛け合いや犬かき泳ぎ、素潜りなどをほぼ毎日。
 休み明けに未完成宿題の日焼け肌登校となった。

 そうした頃を思い出すことになった30歳代。
 健康診断で初めてペケがついた。過コレステロール、太り過ぎ。

 今なら驚きもしないが、小心者ゆえ即医院へ。
 運動をなさい、お勧めは全身運動の水泳。
 で、やります! 泳ぎますとも。

 当時建ちはじめた屋内温水プールの夜間教習へ。
 なぁに泳げる、と思っていた。が、出来ない。
 子供時代のキネズカ≠ヘどこへ行ったものか。

 以後、ゼロから指導を受け直してクロール一筋。
 四季を通じ、週1,2回。
 振り返ればかれこれ40年にもなるか。

 これでなかなか生真面目、一途者なのです。
 が、痩せたかどうかは……



        −*−


#56 (2023/08/20)

 終戦記念日とする8月15日は無条件で降伏日。
 1945年8月6日と9日は、決定打原爆投下。
 もう78年も前になる。

 私など戦後の子。
 平和成りしこの列島国にこれまで来れたは幸い。

 明日はもっと良くなると、明るい希望が次々と上り調子で成った、40年ほど。
 申し訳ないくらいの40年間夢社会は、青春から勤労家庭人を家族と過ごせた。

 その後、今では幸いなりしというのも憚られる、失われた10年20年、30年。
 未だに、良きニッポン、ナンバーワンと囃された幻覚を抱いている向きもあろうが。
 夢儚くもしぼんで下り坂道。プロが育たぬ、日雇い派遣非正規、腰も座らぬ不安定不信社会。

 戦時、ニッポン帝国軍は今どきの横暴ロシアも驚くアジア20数カ国へ進軍植民統治。
 そのツケの惨敗無条件降伏後のラッキーな米進駐軍政策。欧米民主主義布教布制の数々により、旧来ニッポン社会を塗り替え。古い上着よさようなら。

 併せて、怒涛のごとく欧米文化が、目に耳に。
 欧米ご指導もありまたお手本にもして、生真面目過ぎに真似て学んだ平和希求国ニッポンは、世界も驚く復興の図、高度成長40年。

 貧困ニッポンは欧米の温情好意支援を。やがてキャッチアップ。奇跡の経済成長で追い抜けば。

 今どき隣大国のように恩忘れ胸反らしうぬぼれ。
 イッパシ面あろうと実は歴史差ある成り上がり。
 ゼニ・カネで人間社会のバランスが整うはずなく未だ間に合わせの貧相感も。

 これからが真の復興、どうするニッポン!





        −*−


#55 (2023/08/10)

 自宅に手を入れている。改修工事中。
 ほんの数日のはずが、3週目。

 1週の間が空いたせだ。
 物価高騰や品不足のせいか、資材の入手に手間取ったようだ。

 いずれにせよ、工事となれば自宅に他人が出入りする、それが続くのが難点。
 落ち着かず、どうにも身動きに不自由を感じる。
 自由でマイペースな日常、そうした自分なりの行動環境というものが、いかに尊いか分かる。

 先年の原発連続爆発事故による十万人規模もの避難者たち。
住み慣れた自宅を追われて=A数年間もの狭い仮設暮らしの意味が、この上なく痛く響く。

 町内の仮設住宅棟でも、心身の不調を招き病に伏し命まで失う。また自死もあったようだ。
 長年の自由に暮らした生活を奪われ、無縁な遠地での囚われの身のごとき、制約多き日々の絶望感をも想像する。

 今回の私などの短期間でさえ、生活時間が日々の行動で埋められない。
 自宅に居てもわが身の置き場に困る。
 待ち続けた予定がさらに延びた途端の虚しさも。

 だが自宅の工事は「より良くなるための我慢」。
 避難者がたの取り戻せない、年単位家族皆が絶望色に塗り染まる災難とは、まったく異なる。
 まさに何万倍ものご苦労だったろう。

 けれど、あの時以来、「避難生活のご苦労よりは」と、何かにつけ比較する習いが身についた。

 あれに比べればわが生活時間のわずかな変調などはさらなる贅沢≠ヨの少苦だ、というふうに。

        



        −*−



#54 (2023/07/30)

 命の危機的猛暑。
 茹だるような、どころか焼け焦げそうな、酷暑。
 この数日は特にそんな日が続いている。

 毎年暑さのトップに並ぶわが県。
 とはいえ列島全体がそうだから逃げようもない。

 以前に見たアフリカや東南アジアの生活風景で庭や木陰に佇む様子に、日ごと何もしないでは、お国の生産性が伸びまい、と思った。
 現在の猛暑国内の様子も似てきたか。

 これはたんに地球環境の変化と片付けるべきでもなかろうけれど、では何が原因でどうすればよいかとなれば、仕方がないからお天道様に訊いてみよ。
 なにせ地球全体がほぼ同じようなのだ。

 それにしても、わが地球からはるか遠くの星太陽が、爆発燃焼して四方に発散する光と熱。
 それが1億数千万キロもの距離を隔ててなお届くのがオドロキ。しかもこれほど熱い、驚異。

 今更に、そのドエライ光熱源にぶったまげる。
 その傍に超大規模太陽光発電など置ければ、全人類分が賄えように。

 そうでなくともわが地球は、この光熱の存在あればこその億年、生命が生まれ、存在し維持できた。この事実も驚きだ。そして感謝。

 これが、只無料。この世知辛い娑婆で万民公平に無料で支給され、使い放題のエネルギーとくる。
 しかし只より高価いものはないぞえ。

 明日それが消滅しても、この星の住人の誰一人、何も言えず何も出来ない。
 世界の叡智を集めても全ての金銭を積んでも。

 その時こそ真の地球生命存亡の危機。


        −*−



#53 (2023/07/20)

 梅雨と夏の境目が、年々あいまいになっている。

 灼熱日照りがきつく、熱射・熱中症の危機だ。
 また、降れば豪雨。台風並みの濁流が渦巻く。

 今、道路も敷地も公園も、生活圏のほとんどがコンクリートやアスファルト。つまり石&~き。
 昔の田舎道や森林の土の地のように水を吸わず。

 雨水は行き場がなく、地表を漂い溜まり、堀や川へ向かう。
 河川とてその全ては受け入れ不可能。水は溢れて生活圏を没する。

 さらに石が敷き詰められた生活環境は、水を弾き返すだけでなく、人の身体にも襲いかかる。
 
 太陽からの灼熱を弾き返す。焼け石ともなり保温する。夜中も冷めない。

 さらに、石敷きの硬い道は、人間の足に堪える。
 ハイヒールや革靴で硬いコンクリート路や階段を踏むと、踏む力が弾き返される。
 その衝撃が踏み足交互に、それぞれ体重分。

 散歩中、舗装道路から土道草道に踏む入ると、衝撃を吸い取る当たり少ない優しさに、ほっとする。

 話は戻るが、土道草道は柔らかいばかりでなく、雨水を吸収するという良い面もある。
 田畑の柔い土中の農作物は、降雨の恵みを待っている。もちろん太陽光の恵みのほうも。
 人間や動物もとうぜん飲料水≠ヘ欠かせない。

 要は、どちらも適量≠いかに取得できるか。
 最速コンピュータなど持ちつ、1億余の民を自然の挙動を予測制御し守り得ない今世紀人類。

 陽光や降水を最適安全に量確保する真の科学技術文明を、人類はこの先未来どの辺りで得るものか。


        −*−



#52 (2023/07/09)

 3年目の今でも「新型」コロナウイルス。
 感染(うつ)るんですよ、病原菌COVID-19は。

 このばい菌くんは人ヒトひとへ所選ばず世界中。
 767,726,861人(WHO:2019-2023/06)とまだ止まぬ。

 減っては増え、姿を変えて再々襲ってくる。
 重症にもなれば後遺症まであり、最悪は死。

 今どき人類世界は、科学を盾に医学的療法や対抗薬ワクチンで。が、イマイチ。決定打無し。

 この間、アジアの片隅の小島列島北の住人としては、老若男女皆おなじ医療関係者か手術室医師風の、白マスクの往来を避け。
 老体背をすくめ、コトの成り行きを見守る。

 そうした口鼻白き様子に、ラチもない思いが。

 この地球を覆う空気大気は、生きとし生けるもの皆が共有し繋がっている、と。
 それで皆生きていられるのだ、と。

 つまりは、あの人ともあいつとも、敬愛するセンセイやいかなる罪人とも、呼吸器官肺は繋ってる。

 皆が、見えないを空気を吸っては吐き、命の最後まで繋がる。もちろん虫とも爬虫とも。動物とも。
 そんな事実現実があるのだと、深く認識。

 さらにご丁寧には、けたたましく行き過ぎるバイクやどでかいトラックそのエンジンとも。
 黒い燃えカス臭い排気をわが肺臓は吸う。
 今朝ゴミ収集車が運んでいった廃棄物ゴミの山も、燃焼後煙突から空に散ってはまた以下同文。

 どれも空気を介してみ〜んなわが肺と繋がる。
 で、毛の数百分の一のばい菌。遮断可能なりや。

 いやまた、これはエライことでありますなぁ。







・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・

・・・・
夢舟亭
・・・・
[ページ先頭へ]    夢舟亭HOME    「創文館」    「随想」目次