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夢舟亭
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夢舟亭 メインページ 《幻考様思》
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幻考様思#87 (2024/06/30)

 砂浜に打ち捨てられて錆びついた大きな船が寄せる波に洗われるまま。

 それが今のわが国という人は少なくない。
 30年ほど前を思えば信じがたい現実。

 あの頃までの高度成長期は、世界が驚いた大戦の惨敗国からの頑張りだった。
 がむしゃらの24時間働けますか人間がわんさか居た。

 今から思えば、敗戦後の貧しいこの島国へ、欧米諸国は何事にも寛容だった。
 文化芸術や工業技術の多くを真似しても、よく出来ましたね、やればできるのね、と。
 でも当初の芸術や産品の出来は、お上手おじょうず、安かろう、悪かろう。

 そこからの努力粘りの工夫と独自性を発揮してから。。
 家庭電化製品や自動車の性能と量産能力の伸びは拡大一途。
 メイドイン・ジャパン輸入制限がかかるほど、師である欧米に並び追い越し。

 それは現在、欧米から輸入規制をいわれている隣大国の立場と重なる。

 わが国が戦中の迷惑料を支払って援助し、低賃金で仕事を出していたあの国。
 それが今では大躍進を遂げ、あっという間に欧米と肩を並べ、世界が一目おく大国。

 この後、工業立国の錆び看板をどうするか、世界に向かった産業と戦力の拡大はどこへ。

 両国はいかなる未来像を描き実現するか。



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幻考様思#86 (2024/06/20)

 飲食が最大の楽しみ、となったら…ヤバイ。
 人間ドッグで医師と交された会話。

 趣味道楽をもてば生活習慣病予防にと。
 飲食からほかの楽しみに目が向くから。

 健康維持だけでなく趣味の楽しみは心豊か。
 となれば人生100年という今、老いた先で楽しみ事を友にして生きるられる気力は貴重。

 何でも有る今どき好奇心は欲して得られず。
 コンビニや通販で売っているものでもない。

 定年を期に夫婦で「なにか」をと勇んで数週、数ヶ月経って。
 寝食時間を惜しんで飛びつく「ものゴト」、マイタイムに夢中に打ち込む趣味があるのは、ラッキー!

 ワタシ的にいえば他愛のない現趣味は、そのすべてが定年以前から手を出していた。
 それらはいつから始めたかと思うにも定かではない。
 若いうちは興味と好奇心が習慣病だったか。

 目新しいコトを読むに見るに、手を出し時間を注いで、工夫を楽しんで。
 学業に触るぞとさえ親に教師に言われたほどのも。
 だが後には趣味で培った技が業務を助けたことを、今思い出す。

 お金にもならないそれの何がオモシロいのですか?
 と問われても答えに窮する。

 その程度のコトが、時を忘れて飽きもせず、「やっていられる」長い趣味になる気がする。



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幻考様思#85 (2024/06/10)

 雨の日はジャズトリオが好い。
 エヴァンス以降を楽しく聴いている。

 KJT(キースジャレットトリオ)やEJT(ヨーロピアンジャズトリオ)。
 エディヒギンズやケニードリュウ、マイケルブレッカなどのトリオを。
 コテコテに熱いバップジャズよりこういう、クールな軽快さを多く選り。

 選るといってもジャズ誌は廃刊になっていて新譜は知れない。
 10年以上も前の紙面を何度も読み返し、目ぼしいCDを今どきのネット検索。
 ほとんど新品とはゆかず中古市場から。

 それでも届く物は面磨きをしてあるのか、レコード盤傷のように音につまずきもなく。
 CDは古かろうと読み取るピット「1」は「1」で「0」は「0」。
 デジタルテクノロジー、バンザイ!

 ジャズといえば古くはアメリカ、ニューオリンズが発祥とか。
 奴隷解放後の酒場などで、アフリカンリズムと西洋音楽が融合して……。
 以後、世界の音楽シーンに多大な影響を、クラシック音楽にさえ与えたとかなんとか。
 ま、難しいことは分かりかねるが、今では肌色の別なく世の東西を問わず。
 軽快に奏でられるリズムは洗練されて。

 先述のジャズトリオはメロディをピアノ、リズムはドラムスとベースの三人組。
 聞き慣れた映画音楽や軽音楽やクラシック曲を、ポロロン、ドンパンシャン、ブルルンと、即興的にジャズる。
 ときには三者が腕自慢の独奏。イエェー!



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幻考様思#84 (2024/05/30)

 オスマン・トルコ帝国の歴史ドラマを観た。
 2011年トルコ制作放映の連続ドラマ。
 ヨーロッパなど数十か国で観られ、視聴者数8億人とか。

 わが国から見れば、西洋キリスト教外のイスラム教世界の歴史は、知る機会がなく。
 昨今は米国911事件から悪い印象のアラーの国、異世界か。

 頭にターバンを卷いた砂漠とラクダの風景との区別もつかないまま。
 モーツァルトとベートーヴェンで「トルコ行進曲」を知る程度かも。
 それは当ドラマに観入った多くのヨーロッパ人もさほど変わらず。

 それだけに放映回数が進むに連れて、イスラム世界人も西洋人と変わず。
 戦乱の時代の独裁皇室ならではの世継ぎ争い騒乱に、人民は翻弄されたと深く感じ入る。そう思わせる出来の良さだった。

 タイトルに「歴史を元にしたドラマ」と念押しの創作演出はあるが、何代にもわたるオスマン皇帝の血族その生死など本筋は忠実。

 現イスタンブールに都を移しキリスト教を国教とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)。15世紀にそれを滅ぼしたのがこのオスマン帝国。

 ドラマは、帝国が最も栄えた皇帝スレイマン一世の時代から、混乱渦巻くキョセム妃の死まで。歴史はその後も衰退一途。栄枯盛衰。

 一時は現ヨーロッパのほとんど。イラクやエジプト、アジアへも拡大統治。その大帝国も20世紀にトルコ共和国に。歴史600年余。


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幻考様思#83 (2024/05/20)

 生物は増えて過多になると自減しだすとか。
 余剰な生が食不足で生殖が減る自然の理か。

 さて、地上に80億余となる種人間さまも。
 増えすぎというか自然の道理か今、殺傷合戦が凄まじい。

 子どもの言い争いにも及ばぬ自己本位の理屈を正当化する首脳は、攻撃開始ィ〜!。
 それへ、蟻行列の如き、疑問なき真顔で従う大軍団は。おぉ〜!。

 現代の先進技術による遠距離飛翔の破壊兵器は、生身人体などを瞬時に壊滅焼滅。
 兵士はもとより生活市民の存在をことごとく消し去る。

 海外からのニュース映像を目にするにつけ、これが人智の行いかと。
 そして創作映像の映画以上のそれらを、短期間で見慣れ、マヒしてしまうのがまた怖い。

 大小の戦争が絶えたことない人類史。この星には、幾憶人になれば最適というのか。
 その数に至るにこの先、どのような殺戮合戦がいかなる作戦や兵器、勢力図で為されるか。

 そんなとき、人類はついにやってしまったのか、とのセリフを思い浮かべる。
 SF映画「猿の惑星」第一作の終章で。
 広大な宇宙を旅してたどり着いたはるか未来の地球。人類が世界核戦争の末に激減。猿族に知能を削がれ実権を握られたと悟る。

 私は1968年以降、円盤もミサイルや宇宙戦もないSFの、源本を読み、続編の続く総てを猿顔メークとともに興味深く楽しんできた。
 2024年5月再々々の続編が公開された。


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幻考様思#82 (2024/05/10)

 モノの値段が高い。
 上がり続けている。
 世界的な材料資材不足のためとか。
 世界そちこちの紛争が原因だと。

 総ての値段に影響が出るとは思えないが。
 このときこそはの便乗値上げもあろう。

 モノを買い入れそれを売って利ざやを稼ぐのが商売人。油断ならない。
 少しでも安く手に入れ高くさばくのが仕事。

 となれば値上げ理由など後からどうにでも。
 嫌なら買わなければよいと尻捲りも。

 ま、最終的には買う側に決定権がある。
 今どきの買い物客は「神様」だ。
 カネを払えれば、だが。

 この神様は「消費者」とも言われる。
 衣食住で消費使い果たし買い替え続け。
 消費し買うために生き、カネを稼ぐ。

 消費は、カネを持っていればできるハナシ。
 生きてる限り消費車を回し続ける。
 ふとハツカネズミを思い浮かべる。

 私などは値下げ赤札商品を狙って買うケチ。
 質素倹約を旨としている、最下位の神様。

 モノのない時代に育って「惜しんで長く使う」を美徳と心得る、もったいない世代。
 親から「モノを大切に」を躾けられ脳髄に染み込み、本能的に「ムダ」を嫌い、工夫する。

 CMの「今話題」「好評で売れている」「誰も皆が」「便利」「簡単」のフレースに失笑。
 他人と同じモノや真似などつまらない。


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幻考様思#81 (2024/04/30)

 生活維持のための糧を得る労働。
 生きるために働く。職業または生業。

 この身一つを元手に知恵をフルに活す。
 その代価の賃金で家族を支える。

 この肉体も精神も生命体であれば 活力には限度があり長い無理はきかず続かない。
 やがて衰え老いる。人間わずか・・年。

 二千数百年も昔、古代ローマには兵役25年の後に定年と年金の制度があった。
 現代の年金制度はこれを習ったという。

 とはいえ25年後に、「世界の道はローマに続く」国土拡大の進軍兵がどれほど無事か。

 肉弾戦で組み合う武器は槍刀弓馬の壮烈さ。
 今日の労働環境とは危機感が大いに異なる。

 とはいえ今日も労働環境改善が叫ばれ「働き方改革」と法の改変もあり、油断は出来ず。

 運輸での移動過程拘束長時間や、建設事故や災害不安。事務職とて無制限連続は肉体も精神も壊れる。某ハラスメントもまた。

 若く体力十分な時期は重負荷や長時間でも多賃金を稼ぎたい。
 だが高齢に向かえば無理はきつく保たない。

 雇い主としては大量仕事をこなす若く身軽な低賃労働者をと、非正規日雇い、アルバイト。
 これと競い同仕事量、一定一律賃金では中高年の家族持ちは生活成り立たず、物は売れず。
 偏らず国民を守り豊かに法を決するは政治。

 5月1日メーデーは世界の働く者の祝日。


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  幻考様思#80 (2024/04/20)

 またまた地震があった。
 この島国列島はまるでクジラの背中。
 国のどこが揺れてもおかしくない。
 今年何度目? 今回は南、震度6。
 
 遠くない時期に大地震が襲うと予想される地域がいくつかある。
 それと別な大揺れが度々。予想は参考の域。
 予想外が自然災害の常。これ常識。

 おもえば地震はこの星地上どこをも襲う。
 近年各国でも相次ぎ、被害がある。

 億年も前に出来た丸い地球、そのほんの表皮にたむろしているわれら生物。
 その一種の人間が発生誕生してナン十万年。
 地上に繁殖増殖し広がるなか、自然の猛威に振り回されたか。自然はあまりに強大熾烈。

 温度変化はマイナス、プラス何百度。
 噴火大洪水地割れ山崩れ隆起浸食。
 農耕開始後も、干ばつや山火事など自然との戦いは限りなし。

 それでもわれらの祖先は右往左往しつつ飽くことなくがむしゃらに命を繋いできた。
 とはいえ今でも人間文明の実力は、地球自然の底しれぬ力に対しまだまだ未熟で無力。

 人類の先端とする半導体集積緻密度も、駆使(ソフトウエア)力も。
 億年前からある地震ひとつにも及ばず。

 どこが自国とか肌色がルーツが神がとか。
 人類同士が争ってるヒマなどあるまいに。

 いやはや小せいちいせい、ヒト科の生物。


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幻考様思#79 (2024/04/10)

 開花、と見るやあっという間に、満開。
 ニッポン人は、花見の酒盛りバカ騒ぎがバカンスですかと、仏国の若者にからかわれたことがあった。

 そうまで呑む人も見なくなったが、四方山野が淡いピンクに染まるとやはり気もそぞろ。
 花盛りの並木では足を停め見あげてため息。

 疫病明けもあり、有名どころは遠方からの客もあり賑う。
 ちょっと感激奇声組みはスマホ自撮り。
 見知らぬ人が、ほらイイでしょ。覗けば今どきのスマホカメラはバカにできない。

 電子カメラ、デジカメ出始めの頃の画質とは隔世の感。遠く及ばない。
 まして好天光をうまく捉えれば、高価なレンズ交換式一眼カメラにも負けない画質。

 だから自慢の一眼とデカレンズを肩に例年通り出向いてもあまり大きな顔をしていられず。

 ところで待ちにまった春の花たちが一斉に咲き競うが、梅や桜は人が植え育てたもの。
 私的には、自然野草の小花たちも興味深い。

 定番被写体はふきのとうやツクシ。春蘭、ショウジョウバカマ、水芭蕉、カタクリ、イカリソウが経験知蓄積、マイ撮影ポイントに。

 天候により咲き順が揃ってしまうと、この老体にはいささか堪える。
 急斜面林や土手で、足元に向け長い時間のしゃがみ姿勢はかなり疲れる。

 夜、夕食もそこそこに就寝、バタンキュー。
 この楽しみ、さていつまで続けられるやら。


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幻考様思#78 (2024/03/30)

 ずしりと重いナニを握らされニンまり懐へ。
「うふふ、お主もワルよのぉ」。

 販路拡大儲け独占など期待を商欲に絡め、為政者にすり寄る。
 政治権力を銭で買い元を利増して頂く者。

 献金と言い換えても政治権力を銭で売る奴。
 代価の甘ぁ〜い汁をぬくぬくと舐める。

 それら雲上政裏事は時代差なくどこの国も。  われら庶民小市民のなけなしの懐ではとても政治権力購入の献金パー券など買えはせず。

 決してわたしどもがそのようなことは……。
 いぃや默まれだまれぇこの不届き者メがッ!

 と、下々庶民の溜飲を下げる定番の結末シーンが待っているのは、お芝居の中。
 現実現代では時間内の一件落着は、なし。

 けしてウソではないが核心を外し不都合は隠す言い訳弁明を、さも神妙な真顔で。
「記憶にござらぬ」までも時代変わらず。

 公職遂行に健忘症や記憶喪失は失格。
 公費教育で学んだお上の方々、お大臣様らの才能ここに至りし。

 実りのないこれら問答やり取りに時間浪費は民に申し訳ないと、疑義質疑の矛先を臆面もなく切り替えるあたりの心憎さよ。

 いやはや志などという清く正しき御仁など政界には入り込めないのかもしれない。

 銭で政権を売り買いする献金。
 それは記録があれば「OK」だという。


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幻考様思#77 (2024/03/20)

 家人も私も映画鑑賞が好き。
 シネマ・コンプレックふうに別部屋で。

 互いの疑問や怒り声お断りから個別で、時流のDVD鑑賞、加えてBS映画番組録画も。
 おおよそ月平均6〜10本か。

 他国もの海外ものを、アジアなら中国、韓国、インド、ベトナム、タイも。
 欧州はイギリス、フランス、イタリア、スペイン、トルコ。ポーランド、ロシア、モンゴル、ウクライナ。
 北欧スェーデンほか、どこでも創っている。

 洋画はハリウッドと偏らず広く観たい。
 となると話題性の薄い人知れぬ少数派作品となる。そこでネット検索がありがたい。

 血の通った生身の人間が生み出し、選ばれ成り切って演じる俳優を生の声字幕で味わう。
 セットや衣装やロケーションも重要で、現実戦況報道などいつか観た作品に肉薄していた。

 ところで映画から、何を得たいか。
 私の場合、凄い、怖い、轟音豪火、ド派手な話題優先作品は敬遠。

 人間観察志向が強い。社会表裏の本質を描いてほしい。
 ドキュメンタリーとフォクションの別なく、オフィシャルサイト検索参照し選択。

 制作者の意図や深い世界観に学びと共感を。
 思想的制限のある国もあるが、歴史上あるいは現実社会の苦難混乱下の人間描写。

 これはイイ点に目を付けたものだ、よく表現してくれたと唸る作品は、記憶に残る。


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幻考様思#76 (2024/03/10)

 季節の風は今、三寒四温。
 わが地は白い山並みから吹き下ろす冷気か。
 数日おきに冬曇りのあい間の淡い日差しか。

 1,2月には季節外れとまでいわれた陽気に、喜びつつ驚き。
 人間ばかりか、草木も前のめりに先を急ぎ、梅も野の小花も早咲き気分に。

 だが、しっかり元を取られ、今では暦通り。
 一度陽気に誘われた分、粉吹雪が堪え一層身にしみる。

 早朝、白薄の窓外に身震いしてはつい起床時刻が間延び。
 台所の家人に皮肉めいた挨拶を返されては、飼い犬に「ベー」と舌をみせたり。

 それでも「朝イチ自宅の外巡り」は、降っても晴れてもの必須日課。
 水道、電力、ガス、石油の各メーター値をエクセル集計用にメモる。
 これは犬とともに「外気に触れる」ことに意味があるだけのこと、ではあるのだが。

 それでも長年の蓄積「データ」、その推移というものはバカにならない。異常値発見。
 先年、屋内水漏れが判明。
 配管パイプ破損検出、即修理。

 記録というものは、その日その事のデータとともに、長期の値の比較推移による変化を視ることに意味がある。

 ちなみにわが家では記録開始以来、ずーーと全て残してある。
 公的な意味も価値も無いけれど、とても5年や3年で捨てられやしない。



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幻考様思#75 (2024/03/01)

 年月経過の早いこと。
 もうこの歳か、の思いになることの多い近年は、幼い頃のことが頭によく浮かぶ。

 働き盛の現役時にはとんと記憶になかったごく些細な出来事そのイメージ風景まで蘇る。
 それは散歩の独り歩きの、山道を過ぎ遠くまで開けたあたりで ふーっと。
「そういえば、たしかこんな空の雲を見たっけ……」と。

 親の背で感じた“はず”のぬくもりや揺れ、陽のまぶしさ。あるいは匂いや雰囲気なども。
「たしかあのとき、どこそこを訪ねたはず」で、その理由はあれだったろうなの想いも。

 親が語っておきたかったろうはずに、耳にも入れなかった自分に今、苦笑しつつ何故か自身の目で見たものとしてリアルに。
 おそらくは3歳前後5歳ごろの情景までも。

 思えば自分も子を得て、夢中で育て上げるなかでは、聞いていなかろうと知って語った。
 やがて子のほうが高学業で巣立ったのを喜び、送り出し。
 さらには人並みの家庭、そして家族を増やすのを半ば批判をこめつつ笑み目で。それもすでに幾年月前か。

 なにこの自分も世に送り出してくれた親へ、あの時あの事で同じ苦い思いさせたと気づく。

 ということは、世代をまたぐ時間の長い帯で見れば、親の前の世代も、子や孫の先でも皆が、似た人生を繰り返して。
 人、一代がわずか数十年の時間を、互いにいくらか重なり共存しつつ、入れ替わる延々として未来へ。



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幻考様思#74 (2024/02/20)

 地獄。それは世界各国それぞれの神、この国でいうなら閻魔さんに、生前の行状を悪と下され突き落とされるところ。

 この世において好ましからざる罪行の者は、業火猛火の炎猛る山や血の海などの地獄へ。
 悪行の先には、思うだに恐ろしいあの世の苦行の苦界が待っているゾということ。
 幼い頃よりそう教え諭され善い行いを積もうと育つのが人。積善の家に余慶あり、と。

 だがしかし今世界は、この世にもかかわらずあまりの地獄絵。
 誰が何をどう考え国を人を動かしてこうなるのか、狂状凶状の修羅場。

 あの世の入り口で下される神の聖断が、この世にさえ無く。
 80億人の誰ひとり、一人の首謀者を裁けない止められず、それらにマヒして慣れて。

 テクノロジーの進化も手伝って、世界で、平和列島ニッポンで目する報道映像の生々しさ。
 映し出される凄惨極める加害威力の、死傷者の様子もハンパじゃない。
 ここ数年の世界はあまりにも地獄的狂状。下手な戦争映画など及びもつかない人命の軽さ。

 ミサイルや銃砲、戦車やドローンと、立ち並ぶ建造物市街風景を破壊し、黒煙の中瓦礫に。
 そんな戦場真っ只中の火炎猛火のなか、絶叫絶望血塗れて逃げ惑う無力市民老若男女。
 負傷者を傷病兵士を手当はもちろん運ぶことさえままならず。
 それぞれに止めず終われぬ言い分を放つ。

 今神は、恐れを知らぬ人間に与えるべき地獄罰を、思案しかねるとか。


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幻考様思#73 (2024/02/10)

 音楽といえば歌。
 けれど私は異国語が分からないので聴くのは器楽演奏もの。ビートルズ曲さえもそう。

 だが近年聴きたい演奏家団体が無くなった。
 戦後から1980年代頃まで欧米に幾多の演奏集団があり、独自の編曲を奏し競っていた。
 あの曲は某楽団演奏が一番、これは誰でと。
 器楽演奏(インストゥルメンタル)は、ジャズバンドスタイルや管弦楽編成などなどそれ自体がいちジャンルだった。

 ホームミュージック、ムードミュージック、スイートミュージック、軽音楽などと称さた。
 曲はといえば、ジャズ、シャンソン、カンツォーネ、タンゴ、カントリーや各国の民謡曲、映画のテーマ曲、あるいはワルツほかクラシック曲からも。

 ちょっと音楽を聴く家には、そうしたLPレコードの1,2枚があったものだ。
 ラジオの音楽番組がFM放送で聞けるようになって一層耳にする機会が増えた。
 多くの曲をごく自然に知り増やしていった。
 演奏団体も来日し生演奏を聴かせていった。

 ところがいつとは無しにこれら演奏集団が消えてしまった。編曲指揮するリーダーたちが老い、亡くなってしまったのだ。

 ではそれら集団の中からリーダーを立てて続ければよかろう……が。それはだめらしい。
 実際それを試みた演奏団体はあったが、どうも一味異なるのだ。元の独自味が出せない。
 だからファンが去って成り立たない。

 芸術はその人だけが生み出せる一代限り。
 感性は代替えやコピーがではきないもの。



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幻考様思#72 (2024/01/30)

 今では昔昭和30年代。ラジオ放送の頃。
「夢くらべ音楽会」というかの番組が。
 か、という程の記憶だが内容は覚えている。

 素人出演の音楽番組なのだが、歌や演奏を競うなどではなく、レコード演奏を聴き、印象を語り発表する、というもの。
 戦後間もない当時は、まだまだ西洋音楽とくにクラシック曲は多くの人の耳に馴染んではいないこともあって、どれもが新鮮に響いた。

 番組の課題曲の印象というものは例えば、「森の奥から明かりが差してきてそれに導かれて歩いてゆくとやがて…」とか、「明るい春の日に見晴らしの良い岬から眺めると輝く海原の遠くから…」など心に描かれる情景なのだ。
 出演者はそれを詩のように切々とつぶやく。

 語り終えて後に、順位付けや表彰などあったのかどうかは定かでない。
 しかし音楽から受ける印象、湧き出すイメージというものは、面白くも不思議なものと、今も音楽を耳にするとき思い出す。

 音楽情報が行き渡った今では、楽曲の知識や作曲意図などの多くが知られている。
 だから個々人があの頃のような∴象を夢想することは少ないかもしれない。

 なにせ今はネット検索すれば、楽の音どころか、当時夢にまで見た憧れの、今は亡き演奏家や団体の、異国での演奏ステージ映像までが、何時でも手元で見れてしまう。

 この「お手軽さ」には革命的技術の恩恵に感激し興奮までする。
 けれど同時に、あからさまでありふれ過ぎて虚しくも感じるのだ。


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幻考様思#71 (2024/01/20)

 今年こそは”良い年に≠ニ。
 初詣や初日の出で縁起を担ぐひとは多い。

 でも私はこういったことができない。
 触らぬ神に祟りなしでもないが、願い事や占いの吉兆から距離を置き、関わらない。

 神社仏閣などを観るとき鳥居を避けるほど。
 賽銭などは無し。手合わせ願い事もしない。
 風景のなかのひとつの建物を眺めるのみ。

 無意識にそうなった。
 する意味を感じず理解不可能のようだ。

 もちろん冠婚葬祭での儀礼は欠かさず、人並みの行動はする。

 これは2011年以降に徹底した。
 半端な神頼みが性に合わないらしい。

 では徹底して入れ込むかと言えば、まずありえない。
 そうした依頼心の非科学的さが理解不可能。

 また3・11の日が来るが、あの万人の犠牲者の多くが初詣も初日の出も拝んだはず。
 だがその願い事その思いは叶えられなかったではないか、と。

 そして今年は、なんと年初当日、初詣後間もなくに大地震が襲った。
 被害地域の被害者の何が不満だったか神よ。

 現世界、地上各国の紛争もまた根が同じ神の民同士の殺し合いは、一向に止まず。

 神が存在するというのならぜひ問うてみたいものである。



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幻考様思#70 (2024/01/06)

 年が明けて「おめでとうございます」の挨拶もそこそこに。
 天然自然の大災害があってみれば。通り一遍のご挨拶も控えめな年初年賀。

 もう十年以上も経過した先の大揺れ地震と連続原発爆発の経験を思い出した。
『何百年に一度の自然災害』などと言われた。
 だが数十年寿命で生きる私でさえ、この列島でもう何度見聞き経験したことか。

 学識経験者などの評論”最もことば≠ヘ「話半分」の信頼度。献金大国は裏にカネあり。

 さて、年末年始には大勢の帰省家族が移動する。空に地上に海上に混雑渋列は恒例。
 昨今は帰省だけでもなかろうけれど。

 人が巣立つのと同じように、魚の鮭なども卵から孵化する間もなく海に出て。
 大海荒海で、生きる大半を過ごして。
 生地をけして忘れず。

 死にものぐるいで故郷の川を上り、戻る。そして後命を継ぐ卵を遺し一生を終える。

 してみれば人が生地へ戻る行為も苦行とはいえ尊いもの。
 それは老齢の今になって痛いほど分かる。

 あの頃小さかった紅葉のごとき手のあの子供も今では、ひとの親。
 けして楽であるまい人世に生き、己の働きによる土産を差し出す。

 今では老母となりし妻の盛る雑煮を、ほうばる大人顔がほころぶ。
 それが正月の嬉しきひと時。


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